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Re:「20ドル紙幣のデマ」--真の父母様に後継者・相続者はいない!!

み旨を願うあまり性急になるのではなく永遠に信じて従う」は半分は当たっていますが、「時」を逃がしてはなりません。


原理原本161頁から引用します。

み旨を願うあまり性急になるのではなく永遠に信じて従う


原理原本184頁から引用します。

それを急いで願うあまり、神のみ旨を中心に実践することを忘れ、自分の要求ばかりを望んだのである。


御父様の自叙伝46頁から引用します。

人間も大きな志の前では牛と同じでなければならないと考えました。

愚直に時を待てば良いことに出会うようになるものです。

原理原本からの引用ですが、イエス様当時のイスラエル民族について書かれていたものでしょう。
すべてに時があり、再臨期(真の父母様)を迎えた今は未来にはありません。共にみ旨を成せる歴史の一瞬を私たちはどう生きるかです。


第二、第の「真の父母様」があろうはずがありません。後継者も相続者もありません。黒・天聖経にもそれ見ることができます。

真の父母

第六章 「真の父母」と我々


二)真の父母の在世時の価値 P.230


この世に、真の父母が二組いることができません。 今日、北韓では金日成を「父」とし、統一教会では文先生を「お父様」と言っています。しかし、統一教会で言う「お父様」と、北韓で金日成を「父」と言うとは、質的に違います。二人が対立したのです。この二人が、互いに「自分が父母だ」と言うのです。そして、神様もその父母は自分のものだと言い、サタンもその父母を自分のものだと言いながら、互いに争うのです。


これを公的に、誰が公判しなければならないのですか。人間がしてあげるのです。人間が、「我々の父母は、このような方でなければならない」と父母を選定しなければならないのです。「堕落した父母はこれこれのゆえに悪い父母であり、善なる父母はこれこれのゆえに善の父母です。善なる父母を探してきたのは、サタンではなく神様なので、神様が善の父母の父です」。このように立ち上がって決定づけなければなりません。それゆえ、すべてはどこに帰結するのですか。真の父母に会うところです。


父母は、二組存在することができません。一度死んだ父母が、千年後にも再び現れますか。人類の父母が一度現れるのが、歴史の願いであり、国家の願いであり、思想の願いであり、摂理の願いであるために、その父母が現れる時は、あとにも先にもない時であり、歴史上に一度しかない頂上なのです。狭小といえば、どれほど狭小ですか。永遠の世界から見るならば、人間の一生というものは、一息つくのと同じです。


皆さんが、運があってそうなのか、福があってそうなのかは分かりませんが、このようにしてこの時代に生を受けてこの一時に出会い、統一教会に入ってきました。統一教会にどのように入ってきましたか。皆さんをこの場に入るようにするまでには、数多くの先祖たちが精誠を捧げに捧げました。数多くの人たちが滅び、善が踏まれる場で死んでいきましたが、その千人、万人の因縁を経て、回りに回ってその因縁が天につながって、日が昇る高い山のような立場に立ったために、そこで日の光を眺めて集まった人たちが皆さんなのです。


人類歴史において、愛という因縁が出てくれば、それは初めて出てくる時です。それゆえ、生命の価値を賦与することができる時があるとするなら、その時から始まるのです。国と世界の主権をより価値のある内容で肯定させ得る時も、この時しかないのです。この時は、歴史の起源であり、希望の焦点であり、万福の出発点であり、永遠の生命の発源地なのです。そのような時だというのです。


堕落した世界は、未来の希望を探してきましたが、未来にはこの時が永遠の希望の基準になっていくのです。この時を中心として、皆さんがこのように進んでいくのを眺め、この時の心情を体得していき、世界を生かさなければならないのです。この時が、そのような時です。それゆえ、そのような頂上の実体として来た真の父母は、真の父母の心情の位置に属し得る規範に従って暮らさなければならないのです。それは、皆さんには分からないでしょう。


その父母は、どのようにしなければならないでしょうか。善の父母であるために、悪の父母と違わなければならないのです。悪の子供については、どのようにすべきでしょうか。歴史上のどの父母よりも、厚い徳を持って対さなければならないのです。


このような悲惨な運命に置かれた子供に対する父母の立場に立っても、そこに引っ掛からないで、むしろ泣きながら追いかけて、万世の恨を解くために哀願し、たとえ互いが誤ったとしても、別れるのが嫌で慟哭する姿になるべきなのではないかということです。そのような立場に立つべき真の父母ではないかというのです。違うのです。父母として持つべき心情的姿勢がそうでなければならないというのです。


そのような父母を迎え得る子女として、備えるべき心情的な姿勢と規範はどうですか。それがなければならないのです。万国の孝行者を代表した姿でなければなりません。世界マラソン大会に出場した各国のチャンピオンと同じで、自分の氏族の前から選出されたチャンピオンにならなければならないのです。何をするためのチャンピオンですか。孝行するためのチャンピオンであり、忠誠を尽くすためのチャンピオンです。皆さんが、そのようなチャンピオンの群れにならなければならないのです。このようなことを考えてみましたか?


子女はこうであるべきであり父母はこうであるべきだ、というそのような意味では、統一教会の先生という人は、根が違います。その時を逃すようになれば、億千万年の恨を残すでしょう。お金で買えるでしょうか。知識をもって買えるでしょうか。自分のその何かをもって合わせることができるでしょうか。絶対できません。自分が引っ掛かっている世界、自分が引っ掛かっている民族、自分が引っ掛かっている氏族、自分が引っ掛かっている家庭にある荷物を一遍に背負うといって、その場を引き継ぐことができるのですか。それもできません。


共産世界を滅ぼし、民主世界を滅ぼすことがあったとしても、これは滅ぼすことができないのです。世界人類を全部犠牲にしたとしても、これを侵害させてはいけない、と神様が御覧になるでしょう。このように考えるのです。


このような焦点上にいる皆さんですが、言いたいことをみな言うことができますか。自分が言いたいことをみな言って、孝行者になる道理はありません。自分が言いたいことをみな言って、したいことをみなして、忠臣になる道理はないというのです。(五一・三五五)


現在の立場は、どのような立場でしょうか。真の父母を中心として、同時代に処した時です。これは、一生に一度しかないのです。歴史の数多くの流れの中で、魚の切り身でいえば、魚の真ん中のような期間です(四六・一六八)


神様のみ旨から見れば、韓国の一番大きな教団の教会堂が、神様を代表して祈りを捧げることを願うにもかかわらず、雪の上でひざまずいて、礼拝の代わりに慟哭しながら、哀れなこの教会、この殿堂を救ってくださいと祈る立場になっています。この統一教会を立てるにあたって、悲痛な歴史の摂理的内容があったことを知るべきです。


しかし、今は各国が歓迎するのです。アメリカでも今、朝野で問題になっています。日本もそうです。ヨーロッパもそうです。統一教会の祝福家庭が初めて人類の希望的な家庭として、家庭の崩壊を防御することができ、青少年の倫落を防御することができる道だと。希望的な一つの灯台のように考えられる段階に入ってきたのです。そうするためには、先生の血肉がどれほど削られ、恨の涙と曲折をどれほどたくさん経たかを知るべきです。


誰も祝福家庭のカップルを離すことはできません。神様がそのようなことを願うのです。その一組が祝福を受けるためには、天は多くの血族を通じ、手を経て、一時に先生に会わせたのです。歴史的な事件です。


真の父母が生きる当代に、共に生きているということ、同じ空気を吸って、同じ時代に地球上で共に生活をしているということは、驚くべき事実です。それに先だって、祝福の基盤を受け継いだということは、驚くべき事実です。百万長者が問題ではありません。先生が皆さんのようであったなら、今日の統一教会が生れたでしょうか。行く先々で監獄に直行するのです。監獄の正門を通って、裏門に出ていくのです。


先生が暮らせる家庭、先生がとどまれる教会、先生がとどまれる一族を取り戻していくにあたって、今は、世界の版図を皆築きました。そこに備えうる外的条件を皆築きました。世界の学者世界、PWPA(世界平和教授協議会)百カ所以上、言論界の組織、その次に頂上会談・これはこの世界を動かしうる頂上のクラブです・を皆作っておきました。また、心を代表した宗教圏連合、体を代表した政治圏連合として、世界平和宗教連合と世界平和連合を作ったのです。


私個人で、体と心の闘争歴史として分かれたものを、今終わりの日に来て、これを収拾せずしては、人類の生きるべき道を収拾する道理がないのであり、平和の世界に行く道がないために、一人でこのようなことをするのです。反対されながらも一人でやるのです。(二一一・三三七)


お父様お一人でも真の父母様を代身し、お母様お一人でも真の父母様を代身されています。まだ地上にはお母様がおられます。摂理の「黄金期」言われる時もあとどれだけでしょうか?!


「サンクの20ドル紙幣のデマ」に惑わされることなく、真の父母様を見つめられては如何ですか。