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文鮮明先生御言選集 19830605 - 「私を中心とした父母と子女と万物世界」


引用:

1983年に,アボニムは,「入籍が成されれば,先生は後継者を任命する.彼は,全ての統一教会,全祝福家庭,そして真の父母の家庭において周知されなければなりません.彼は,満場一致で受け入れられねばなりません.一度,後継者が決められると,全ての活動を導くために,天国の法または憲法が制定されます.」と説明されました.…文鮮明,「私を中心とした父母,子女,そして世界」1983.6.5


以下に該当部分を赤太字にしています。


文鮮明先生御言選集 19830605 - 私を中心とした父母と子女と万物世界

1983年6月5日
ニューヨーク・ベルベディア


 この世の中には多くの人が住んでいますが、その中の一人が私です。今生きている地上の人たちは、いかなる関係にあるでしょうか。多くの国がありますが、各々の国は一つになることができません。そして、国の各々の民族、数多くの氏族、家庭も一つになることができません。また、皆さん自身を見たときに、家族を見ても、体を中心として見ても、一つになることができません。このような実情をもっているのが世界の現実です。私たちがいかなる所に行ったとしても、あまりによく見ることは、一つになることができないということです。不信の環境があまりに強いことを感じて生きています。そのような激動する中に、自分という存在が立っているのです。


 しかし、私たちの本然の心は、このような社会、このような環境を願わないで平和で統一された何かを追求しているということは、否定できない実相です。このことが事実であれば、その事実の定着地、あるいは目的地はどこでしようか。自分自身を見ても心と体が闘っている、これを見るときにこの宇宙において、信じることのできる、あるいは頼ることのできるところがあるでしようか。今、私たちが頼りとしている世界、国家、社会、家庭、また父母、妻子とありますが、この自分自身において頼りとすることのできる何ものもないことを発見するのです。心と体が分立しているので、自分自身においても頼りとすることができません。


 したがって、今自分が生きている世界が問題ではありません。国家も、社会も、家庭も、夫も妻も問題ではありません。結局のところ、自分自身がいかなる統一的基盤を整えるかということが、極めて重要な問題です。自分が平和なる統一世界を願うなら、自分自身から統一し、自分自身が一つになったところにおいて求めなければ、統一的な世界と関係を結ぶということは、理論的な矛盾なのです。


 では世界の願うところは何でしようか。不信に満ちた嘆きの世界であり、統一されていないこの世界は、一つになることのできるところを、願うに違いありません。国も同様であり、また、私たちにおいても。一つになることができるところがどこかを求めています。このように、世界と国々が、統一された中心、その一点を探し求めていると見るときに、その全体が探し求めている中心ポイントは、結局私という人に帰着されるのです。真なる人に帰着されます。すべてが一つから出発して完全に統一された基盤なしでは、全体統一形成は不可能です。それが不可能であるとすれば、理想だとか、善だとか、すべてがおしまいになってしまいます。結局私というものを拡大させたのが宇宙なのです。


 皆さんは距離を計る尺度を知っていますね。もし一センチメートルだとしたら、そのオリジナルモデル(原型)があって、それは絶対的です。それと比較して同じであれば、みな正しいのです。原型に合わせてみて、合わなければ不合格なのです。一センチメートルは十ミリメートルですが、一ミリメートルは絶対的な尺度と見ることができます。それを十倍すれば一センチメートル、一〇〇倍すれば十センチメートル、このようになります。そうすることによって互いが連結され、いかなる所においても共通であり、統一的内容をもつことができます。


 人間の世界には、そのような尺度がないのでしょうか。人間世界が統一されようとすれば、そのような原則的基準において、心と体が闘わずに一つになったその型が、必ずこうでなければならないという型があるはずです。このように思ってみれば、自分自身を管理することは、たやすいことでしょうか? (いいえ)。心はこちらに、体はあちらに行くのです。東京に、「人心朝夕変あり、山川古今なり」という格言があります。皆さんはどうですか。朝夕変わるのにいつ統一されますか。歴史上に有名な聖人たちを考えてみてください。イエス様はどうであったでしょうか。釈迦や孔子はどうであったのでしょうか。私たちは、心と体が一時間に数百回も変わりますが、それらの聖人というのは、一つの場において変わることのない人たちです。


 (しかし、聖人たちといえども)まっすぐ立っていることはなく、ゆらゆら揺れたことでしょう。イエス様はそんなことはなかったでしょうか。ちょっと聞いてみましょう。(笑い) イエス様は男性でしょうか、女性でしょうか? (男性です)。男性が女性を見たら、女性と考えないでしょうか。間違いなく女性と思うでしょう。すると、自然の理法からプラスとマイナスがあれば、自然に引力関係になります。そうなったでしょうか。イエス様はそれを感じたと思いますか、感じなかったと思いますか? (感じたと思います)。だからイエス様も立ってはいましたが、ゆらゆらと揺れたことになります。手も同じであったと思いますが、しかし足は離れませんでした。足が離れれば倒れてしまいます。普通の人ならば、手よりも足が先に動くのですが、イエス様は手は動いたとしても、足は動かなかったのです。私たちはいくら偉いといっても、イエス様以上にはなれません。イエス様がそうであるといって、いつまでもそうなのではありません。倒れそうになっても、これはいけないと言ってすべて切ってしまい、心と体が一つになることのできる位置を得なければなりません。


 男性は男性として、どこで電気がスパークされなければならないかといえば、宇宙の宮殿においてスパークされなければなりません。そのような場においてこそ、男性と女性は出会うことができます。なぜかといえば、最も貴いことであるので、最も貴い場でなされなければなりません。だから今日のアメリカ式のように、男性と女性が会うことはできません。先生が話したほうとアメリカ式と、どちらが良いでしょうか? (先生のほうです)。しかし、それは大変難しいことです。アメリカ式のほうが、どれほどたやすいことでしょうか。ちょっとかわいい女性がいれば、勝手にキスをします。(笑い)


 何百万、何億とキスはありますが、本当のキスは何でしようか。先ほど一ミリメートルとか尺度の話をしましたが、ミリメートル的キス(標準化されたキス)はどのようなものでしょうか。(笑い) それは必要ですか? (必要です)。義人、聖人が願うのは、尺度化(標準化)された型における中でキスし、愛そうとすることであり、そうする人は正しいという結論になります。今日、堕落した人、この地上に生きる人たちは、そういうことを考えることすらしなかったのです。しかし、義なる人、新しい何かを願う人、理想を見つめて生きる人であるならば、こうなるしかないという結論になります。もしも自分自体が、これを地上においてなすことができるかといえば、これは不可能なことです。


 神がいるとするならば、このような内容を解決してくれる希望的宣言だとか、または、そのような宣言をすることのできる人を送ってくれなければなりません。神がいるとすれば、私たち人間の前に予告するであろう内容が何かといえば、宗教でいうメシヤ精神です。そうだとしたら、これは正しいのです。そのような思想を歴史を通して今までもち続けてきたのであれば、神がいるということを、私たちはここにおいて、理論的結論として出すことができるのです。分かりましたか?


 メシヤが男性であれば、男性のモデル(原型)です。彼を中心として、女性はモデル的(原型的)な女性につくって、愛し合うのは、モデル的な愛をつくるためです。その責任者はメシヤです。だから遠い話ではありません。男性と女性が一つになって完全に愛するとき、それは神様のモデル(原型)と同じであるべきでしょうか、異なるべきでしょうか。(同じであるべきです)。同じであれば、それは愛を中心とした宇宙のモデル(原型)になる、このような結論になります。


 神が私たちに対して、男性女性がそれぞれに対して何を願うかといえば、神様も私たち人間に対して愛を求めるであろうし、男性も女性の前に、女性も男性の前に愛を求めるのです。その愛が異なるものではなく一つであるならば、それは宇宙の中心にならざるを得ません。宇宙の原則的なミリメートルのような標準的型になります。それが真の愛です。真の愛は人間同士の愛ではなく、宇宙を代表することができるために、神も(その)愛に入れたくなくても、入れざるを得ないのです。


 女性の中で結婚している人は手を挙げてください。結婚していない女性も手を挙げてください。「私は真の女性の愛をもっているので、すべての真の男性は私のもとへ来なさい」。(笑い) 女性の皆さん、(このように言える)自信がありますか。なぜないのですか? こんなに大勢いるのに一人もいないのですか。男性はどうですか。問題は簡単です。この世の中の男性で、数学、哲学、宗教などをやるのをすべて投げ捨てても、真の愛をもって生きることができる、神様と共に生きることができる人であればいいという、一つの結論的なことをいうことができます。真の愛をもって、神を中心として生きる夫婦であれば最高です。そうなると男性が生きる世界のどこにでも行くことができ、女性が生きる世界のどこにでも行くことができ、神様が住んでいる世界のどこにでも行くことができます。このように見るとき、聖人たちを考えながら行動するのもいいですが、一つの(真の愛をもって生きればいいという)結論がここにあります。簡単ですね。そう思いますか。


 レバレンド・ムーンが、けさここにおいて結論を出したことに対して、神様に尋ねてみたとき、神様は「あなたの話は正しい」、男性に尋ねてみても、女性に尋ねてみても、「あなたの話は正しい」、三者がみな正しいと言うでしょうか? (はい)。(拍手)


 高貴な人はなぜ必要ですか? 高貴な夫婦のためです。高貴な夫婦になってどうするかといえば、高貴な神の愛を成し遂げるためです。では高貴な神の愛を成して何をするかといえば、宇宙をすべて所有し、中心として公布するためです。(黒板で)ここではすべてがこれを通じます。すべてをコントロールするのです。これがなぜ中心となるか、それはすべてが私のものになるためです。ではこの中心は、お金であるべきでしょうか。権力であるべきでしょうか、愛であるべきでしょうか? (愛です)。この地上を見るときに、愛を売って知識を買う人がどれほど多いでしょうか。愛を売って金を求める人、愛を売って権力を買う人がどのくらい多くいることでしょうか? それらはみな偽りです。皆さんはどうですか? (違います)。


 それでは、宗教を売って、宇宙を売って、神の愛を買うとしたらどうですか。そのようにすることは悪いことですか? 宗教がいくら利用し、世界がいくら利用し、利用されても、神の愛をなすことができるのであれば、それは善いという話です。何の話かといえば、そのような宗教があるとしたならば、その宗教は宗教よりも愛を強調し、世界よりも愛を強調する、そのような宗教であるという結論が出ます。このようなことを教えてくれる宗教がなぜ必要でしょうか。それは宗教は元来神を中心としたものであり、神の愛を論議します。したがって、宗教以外には、神の愛といったより大きな愛を教えてくれるものがありません。それで宗教がなくてはならないために、統一教会がつくられたのも、その意味における(神の愛をなすための)方便です。どうですか? (そうです)。


 宗教における統一教会のその原則は、何でなければならないでしょうか。男性と女性を完全に愛で一つにし、神が定着することのできる内容があれば、ここで統一ということ(概念)が可能なのです。中心において主管することのできる理想的内容があるがために、可能となります。それで何を売っても、何を犠牲にしても。統一教会の人たちは行かなければなりません。それがどんなに困難な道であろうとも、たとえ死ぬようなことがあるとしても、私たちは行かなければなりません。イエス様も最初は、この世においてこのように歩むと定めておいたのです。宇宙がどうなるかと考えるとき、この結論が最高の理想郷に行ける道であります。なぜ、男性は女性を探し求めるかといえば、それは神の愛を求めるためです。目的は女性でもなく、男性でもありません。家庭でも、国家でも、世界でもありません。神の愛に到達するために、私はそうするという結論をしっかりと理論的に整理しなければなりません。


 今まで皆さんは、そのように決定してやってきましたか、み旨がそうであるから(といって決意もなしに)そのままきたのですか。皆さんの心と体が、今まで一度も崩れずに、完全に一つになりましたか。心と体が完全に一つになれずに、そのような愛をすることができません。そうなりましたか? (いいえ)。心と体が一つにならなければなりません。この心と体を一つにすることのできるものは愛のみです。愛のみが可能なのです。いつそのようになるかといえば、愛することを知り始めた時です。愛の道を訪ね求めて行くときには、心と体は一つになることができます。その愛は本然の愛です。


 それはいつかといえば、思春期においてです。愛を求めているときは、心と体、すなわち心の目と体の目が一つになるのです。それほど強いのです。父母の話も聞かず、勝手に回っていきます。目もそうであり、鼻もそうです。愛の鼻はもっと、普通ではかぐことのできない嫌いなものも、好きになります。また、心と体が一つになったなら、味も、何でも良く感じます。聞くことにおいても、夜明けまで聞いても良いのです。触覚も同様です。それは愛のみが永遠であるためです。その話は、正しいと思いますか? (はい)。思春期になると目がおかしくなります。(笑い) なぜか分かりませんが、みんな良く見えてくるのです。服も着飾るし、(ジェスチャーを交えて)とにかく好きでたまらないのです。愛というのは、消化することのできない骨までも消化し、また汚いものもおいしく食べられ、すべてを消化してしまいます。愛は神秘なのです。心と体が均衡になり、一つになって、二人が一つになって、ここで愛という銃を撃ちます。(笑い)


 もう一時間たちましたね。もうやめましょうか。これだけでも偉大な成果があります。やめましょう? (いいえ)。(笑い)


 そのような愛を願う人は手を挙げてみてください。本当の愛をもって、醜い男を見るときに、美男子に見えると思いますか? (はい)。そうです。愛は素晴らしい力をもっていると私は思います。


 思春期において、初愛において結ばれた男女は、永遠に忘れることができません。美人とか、不美人とか、そういうことは見えません。初愛を捨てる人は神の前に行くことができません。この地上において天国に行ける人は、初愛を中心として生き、初愛によってすべてをあきらめ、初愛のゆえに生き死ぬという人です。そのために初愛を良くしなければなりません。レバレンド・ムーンが今まで善男善女ということで結んであげたのは、これを成すためです。統一教会の信者たちは、国境を越え、人種を超越して合同結婚式をし、世界から騒がれる狂った人々です。その気違いは何のためかといえば、本然の愛のためです。


 このような観点において、皆さんは一度反省してみなさい。自分はどれほど不完全な人でしょうか。どれほどよこしまな心と体をもっているかを反省してみなければなりません。自分の体を偽り、心を偽り、全体を偽っているよこしまな自分自身ではありませんか。このような自分自身を発見して、「ああ! 神様、私を愛でもって救ってください」と言う前に、皆さんは自分自身を否定し、是正することが先決であることを知らなければなりません。心と体を一つにしなければなりません。


 体が行く道を中心として、心が一つにされるべきですか、心が行く道を中心として体を一つにさせるべきでしょうか。(心を中心として)変わることがあっても、心のほうがよりましだからです。心を中心としてこの体――鼻、目、口などすべて――を一つにしていかなければなりません。理想的な男性に会うためです。理想的な男性に会って何をするのでしょうか。理想の神に会うのです。それから理想的愛を探し求めます。不可避的にそこに行かざるを得ません。すべてをみな捨てて、この道を決定し、決定的な判断を下さなければならないことを、はっきりと知らなければなりません。どうですか? (そうです)。レバレンド・ムーンがそのように言うから、そうやるべきなのですか。レバレンド・ムーンが言わなくても、本来の心がそうなのですか。どちらですか? (本来の心です)。


 なぜ心と体が一つになれなかったのでしょうか、これが問題です。神がいるならば、なぜ心と体が一つになるように造られなかったのでしょうか。私という人間は愛が何であり、男性と女性が何であるかを、知らないで生まれてきました。男性として生まれ、女性として生まれたならば、(互いに探し求める)そのような可能性の道を行くのは事実であります。しかし、そのように行く道が愛の道であるならば、なぜ、元来一つになることのできる基盤をもたないままに生まれたのでしょうか。神がいるなら、なぜそれができなかったのでしょうか。これが問題です。絶対的な神がそのような愛を必要としているのであれば、女性を造った時に、その女性をして理想的に造ることができなかったのでしょうか。そこで、正常なる男性と女性の立場に至らなかった、正常なる神様の所へいまだ至っていなかった、という論理が成り立ちます。思春期まで行ける一時を願ってきたのに、その所まで行くことができずに、事故を起こしてしまったという話であれば、分かるというのです。


 それではなぜ、その時まで待たなければならなかったのでしょうか。愛において成熟する思春期までの期間があるためです。それでこの期間までには、いかなる過重的要求があるとしても、私たちは理解できます。このために、成熟する前に愛によって故障となり、神も離れ、男性も女性も嫌だと言って離れる立場に立ったならば、大きな問題です。そのような一時があったとしたら、すべてが説明可能となります。もしそれがなかったならば、この宇宙は神もなく、永遠でもなくなります。愛の事故が起きた、これ以外にはありません。そのために神が問題となり、人間が、歴史が問題となりました。宇宙の大事件として、ショック(衝撃)を与えることができるのは、愛の事故しかありません。


 それで神様は、「取って食べるな」と言われました。この言葉はある過程的な内容を中心とした愛の警告であるとするならば、それは愛の思春期という成長期間があるためであって、永遠にではありません。なぜ「善悪の果を取って食べるな」と言われたのでしょうか。それは何かといえば、人間と神との基を整えるための動機の内容があるために、問題視したのです。そうでなければ問題視する必要はありません。このように見たときに、今日何も知らない人たちにとって堕落という言葉は、偉大なる福音です。この世界を眺めるにおいて、このような苦痛の時代の中においては、(かえって)堕落という言葉は偉大な福音なのです。


 善悪の木の実は(文字どおりの)実ではあり得ません。億千万人類が呻吟し、このような破綻の場で争うこととなるそのような木の実であるならば、神はなぜ、そのようなものを造ったのでしょうか。レバレンド・ムーンのみが、これは愛の内容を中心とした、そのような木の実であったという宣言をしました。結果として現れている事実が何よりもその理論に近いのです。そこで愛には善の愛と悪の愛が生じました。その結果次のように分かれます。成熟した人は真の愛を知る人であり、堕落した人は真の愛を知らない人です。神の愛に生きる人は真の愛を知る人であり、サタンの世界の地獄に生きる人は真の愛を知らない人です。


 それでは、神が認める愛はどのようなものでしょうか。アダムとエバが十六歳から十八歳になり、目が勝手に動いて、お互いに見つめ合って、「私が求めていた人はあなただったのです」と言うことのできる段階にならなくてはなりません。その時は思春期で、心と体が一つになったのです。目を見つめると神秘的な目であり、鼻をつければ電気が通ずる、このようになって男性、女性が心と体が一つになったときに初めて、花が完全に咲き開いて香ります。その香りは宇宙の香りであるので、宇宙の万物がくんくんと香りをかぎ、良い気持ちになっています。そのとき神はどうでしょうか。神もこれは不思議だと我知らず、(愛の)銃に撃たれたようになります。神は、「ああ、彼らは引力で私を引っ張ろうとしている」と言い、また「私の創造は最後に愛によって活性化された、私は移動するとしよう」と言うでしょう。その時に神は降りて来て、アダムとエバの周辺に共にいるようになり、結婚の世話人になります。そして彼らが一緒になった時、愛の爆発が起こります。それは男性、女性、神と三者による爆発です。


 純潔な男性と女性が神を中心として一つになり最初の愛を完成すると、それは宇宙の核になります。そしてすべてを愛で主管し本来の軌道に入るはずだったのに、脱線してしまったのです。脱線しなければ素晴らしく展開したはずです。この核はあまりにも強力に引き付ける力があるために、神様も首を縛られたようになって、これを離れることができません。体は離れても足は地面に付いています。男性も女性も離れることはできません。だからここから生まれる子供たちも、みな紐を持って、引っ付き引っ付きして世界となったのです。そして家庭、氏族、民族、世界となっていきます。この宇宙世界は何と素晴らしいことでしょう。そこは大変神秘的な所です。これが地上天国です、真実の世界です。皆さんはどう思いますか。(拍手) レバレンド・ムーンは空想家ですか? (いいえ)。


 先生が初めて、恨みは愛からであったということを、このような歴史的背景を通して理論的体系において宣言しました。それは否定できない事実です。それが分かったならば、それを一つ一つ解くことは容易なことでしょうか。すべてが反対になり、分かれてしまっています。この理論が正しいならば、いくら世界の人が多くいたとしても、ばらばらに分かれ分立された人間像が発見されるはずです。そしてこの現世が(理論に)合っているという事実を否定することができません。したがって、堕落によってできた世界であるということは、正当な結論です。(黒板を使用して)ここからみな分かれたので、神もなく、父母もなく、男も女も世界もない混乱状態が起こるということは理論になかった現象です。ここでは自分自身でもっては、絶対に一つになることができません。希望がありません。人々は方向を探しますが、全くその方向が分からず、光も見えません。それで、これらのすべては今や神を求めるのです。


 しかし、「神はいない、神は死んだ」と言っています。それはすべての終わりを意味し、人間の滅亡を意味します。希望とか、理想とか、ユートピアとか、何もありません。それは人間たちがつくり出したものです。いかにしても(真理は)分かりません。個人を見ても、家庭を通じてみても、世界を通じてみても分かりません。有名な学者、聖人君子たちもみなこの中で(図を示して)見つめているので分からないのです。神様(の立場)に来てみて、初めて分かります。聖賢たちもここに行ったり、来たりしてやめたので、世界がどのようになっているか知ることができませんでした。


 このような実情を見るとき、(図で説明)このようになっているために、愛のため、真の愛を求めてこの世界圏を克服しなければなりません。そのような宣言が必要です。本然の愛はこの世の愛よりも次元が高いのです。そこで「誰よりも私を愛せよ、この世のすべてを捨てても私を愛せよ」と言える男性がいたとしたら、その人は偉大な聖人です。それは何の話かといえば、堕落した世の愛の圏を超越することのできる、愛の圏をつくるということなのです。


 神様はどうでしょうか。このように堕落した世界にあっては、神様もこのような人を願うことでしょう。このような世界に生まれたとしても、真正なる心の要求から、「私はこのような愛を求めて行きます」と言う時、神様は黙っているでしょうか。それにこたえなかったならば、神様に責任があります。なぜならば神が人間を造ったからであり、神が造ったからこうなったのではないですかと言われれば、神はどうすることもできません。私はここで生きているけれど、「あなたが願う理想的愛の圏に行きたい」として、行こうとするのに歓迎してくれないならば、神はいないに等しく、否定されざるを得ません。神は必ず答えなければなりません。「あなたの答えは正しい、あなたを待っている」と。


 数多くの聖人の中においてイエス・キリストのみが、人格的神として、神を父として宣布しました。イエスは万民の愛を中心とした先導者であり、救世主であらざるを得ません。もしそのような人が誕生したとしたら血統的に愛はどうなっているのでしょうか。イエス様でもサタンが離れてくれません。神とは一つになることができても、サタンは離れてくれません。なぜかというと、愛は本来の創造の原則において、主管することのできる権限があるからです。サタンは非合法的な愛ではあっても、アダムとエバを愛したに違いありません。「私はアダムとエバを愛したので主管することができる。だから、それ以上私を愛さずしては、連れて行くことはできません」と言うでしょう。だからサタンの血統を取り除いて生まれなければ、問題が残ります。


 イエス様(の家系)においても、カインとアベルに分立し血統的な浄化運動をしたという歴史的内容が、聖書に記録されています。ヨセフの血統を見ると、ずっとめかけの血統です。そのような複雑な問題をみな解決して、これらをすべて脱ぎ捨てなければなりません。そして、「神様、私はこれらのすべてを脱ぎ捨ててきました。今や、あなたの前に立つことのできる息子であり、あなたが探し求めていらっしゃる本然の愛を立てることのできる男性です」と言えるようにならなければなりません。どれほど膨大(な内容)でしょうか。今日統一教会において一つ一つを知って、一つの完全な体系に基づいて勝利的に現実問題に理論立てたということは、驚異的であります。そして、ここに来て座ることは、天下においても最も価値があり、名誉あることとして、誇りと思わなければなりません。そのために今日堕落圏にある皆さんは、堕落した国と世界全体を否定して、それ以上愛する愛をもって愛さなければなりません。しかし、そうだと決意しても、そのとおりにやることはできません。なぜならば、サタンを中心としているからです。


 アベルは神の息子であり、神の息子は本来アダムとエバが行かなければならなかった天国に(行くに)は、天使長を愛し、天使長の種族たち(カイン氏族)を愛して行かなければなりません。それが原則です。誰よりもサタンを愛したという条件を立てなければなりません。そこで必要なのがメシヤです。私たちにメシヤを送ってくださいということになります。メシヤは堕落圏とは関係ありません。本然の愛の主体型として来られる方です。エデンの園における神の息子、娘には堕落圏がなかったように、本然の子女として生まれたのです。


 宗教の歴史の中でこのような歴史をもっているのは、ユダヤ教です。ユダヤ教を中心としたメシヤ思想があるということは、神がいらっしゃるということです。神を中心としたメシヤと一つになることのできる民族として、世界において準備されたのがユダヤ民族でありました。このような世界の上に一人の方を誕生させるために、ユダヤの国を選び、選民として立てたのです。そして一つになったならば、愛をもってローマを消化します。イエス様はメシヤとして来られて何をするかというと、愛でユダヤ教を消化しなければなりません。


 メシヤは男性であります。それでアダムにかたどってエバを造ります。メシヤは堕落した世界に来てエバを探さなければなりません。サタンが奪っていったからです。そのために新郎を迎えるまで、女性たちは歴史時代においていつも苦痛を受け、蕩減の道を歩むようになります。そして真なるメシヤと一つになって、永遠に変わることのない男性に出会って、絶対的な本然の愛の中で、爆発的な愛をこの地上に再現させて、ここで夫婦の因縁を結ばなければなりません。その中心は神の愛です。このようなこと(道)が、どこでなされるのでしょうか。国を治めることのできる宮殿において、あるいはユダヤ教の大祭司の家庭でなされなければなりませんでした。ところが、祭司長たちがメシヤを追い出したのです。


 (黒板を使用して)これがなくなったので、メシヤは死んでしまいました。そこでこのような歴史を経て再び来なければなりません。これは非常に論理的なことです。それで再びこのような歴史をつくるために、世界的なキリスト教をつくってメシヤは再び来られるのです。どこに来るかといえば、キリスト教にです。そのキリスト教を代表する世界的中心国家がアメリカです。第二次世界大戦直後において、そのアメリカの権限が歴史上に一度しかない最大の期でした。しかし、その期を失ってしまったのです。(もしそうでなければ)共産主義をみな除去することができたのです。


 この時がメシヤが来られる時でした。終わりの日、サタン世界の終わりの日だったのです。そしてそれは、統一教会から始まりました。ローマは太陽神を信じ、怨讐の立場にあったときに、イエス様を殺しましたが、蕩減路程においてこのローマと同じ立場に立っているのが、キリスト教文明圏の中心国家であるアメリカです。そしてローマとイスラエルの関係を蕩減しなければならないのが、アメリカと韓国の関係です。統一教会はこのような使命を中心として出発しましたが、キリスト教において歓迎を受けることができませんでした。もし受け入れていたならば、私たちはずっと以前に共産世界を克服していたことでしょう。しかし、受け入れられなくて、メシヤはモーセの四十年荒野生活のように荒野に追い出されました。そして四十年間で再びキリスト教文化圏(に相当する基盤)をつくるのです。アメリカとキリスト教が反対したのを蕩減復帰しなければなりません。蕩減するということは、愛するということです。統一教会の信者はキリストを、これまでイエス様が愛された以上、数多くの人たちが愛する以上に愛さなければなりません。それが認められる日、この国は生きるのです。


 これからの三年間、アメリカの言論界や自由世界の言論界は統一教会に反対する気力がなくなるでしよう。それよりもこの世界に希望がなく、この世界が滅びていき、手がつけられなくなります。統一教会よりも、さらに悪いものを見ることになります。ムーニーが一番悪いと思っていたのに、自分の子女のことを心配して、自分の子女たちの生きている社会、自分たちが生きている国家、世界を見ると、かえってムーニーの思想がはるかに優れており、この世はめちゃくちゃになっています。


 私たちは世界主義が必要です。神様も世界主義であるに違いありません。統一教会は共産党よりも、キリスト教よりも世界主義であることを、一度に理解させなければなりません。それは共産主義も恐れるものであり、それを打破し、新しい世界をつくり出すことのできるものであることを。共産党よりはレバレンド・ムーンがましである。そうなれば、共産党を捨ててレバレンド・ムーンを取るでしょう。(拍手)


 アメリカの青年たちはどこか行く道がありますか。フリー・セックス、ヒッピー、ストリーキング、レズ、ホモ、やるだけやってみたのです。ところがムーニーはレズも知らず、ホモも、ドラッグも知りません。たった一つだけ知っています。東洋の女性とアメリカの青年が一つになっても互いに喜んで、苦労してもそれでも希望をもっています。どこに行っても苦労を喜ぶということです。背が高くすてきなアメリカの男性女性同士が、周りで見てもうらやましいほどの人たち同士が結ばれても、(すぐに)争い離婚したりします。ムーニーたちは完全に離婚しても余りあるほどの二人であるのにもかかわらず、喜んで生活します。これはいったいどうしたことでしょうか。不思議なことです。姑を愛し家族たちを訪ね回りながら、一つになろうと苦労しながらも、よく耐えて喜んでいます。だから彼らは現代の青年と比べ、統一教会のカップルを最も不思議だと思うでしょう。しかし、最も不思議なお方は神様です。(拍手)


 アメリカは行く道がありません。間違いなく統一教会のレバレンド・ムーンがよく、ムーニーが素晴らしいといううわさがこだまのように全国に広がるようになると、その時は私が逃げ回らなければなりません。我々の父母は良くなくて(先生に反対しましたが)、我々はそうではありません、と言うでしょう。(拍手) 「(モーセの)荒野時代の四十年間において、先祖たちは神を裏切ったが、その後孫を連れてカナンの地へ入ったではありませんか。このように草創期から四十年ぶりに会ったのですから、レバレンド・ムーンは私たち後孫を引き連れて行く責任があるではありませんか」そのように讒訴されれば、レバレンド・ムーンはどうすることもできません。そのような時代が来るのです。


 だから、どうせやるのならば、皆さんは初めから歓迎し前もって自分たちの責任を果たし、これらの人たちを救えという宣布がされるのです。統一教会が黙っていれば、彼らの後孫が訪ねて来て、「あなたよりも私のほうが優れているし、国が私の味方であり、世界が私の味方です。皆さんは何をしてきたのですか」と言われます。「ムーニーは大変小さい。しかし私たちには国があり、世界があります。皆さんには何がありますか」と言われたら何と答えますか。神はどちらを準備しましたか。小さなムーニーですか、大きなアメリカの若者ですか? (ムーニーです)。クリスチャンは国をもち、世界をもっています。しかし、私たちは指導権を失ってはいけません。


 三年間動員すべきですか? (はい)。皆さんは伝道が嫌いだと言うけれど、問題ありません。ハーバード大学出身、エール大学出身、博士、学士たちが押し寄せて来て、自分たちが先頭に立とうとする日が遠からず来るでしょう。ドクター・ダースト教会長も復興会で回り、言論人たちとミーティングをすると、彼らが非常に親切であるので、どうしてこのようになったのか、と驚いています。昔は黒い色メガネを掛けて見ていた人たちが、今はそれを外してしまっているのです。どちらが良いか、悪いかが分かるのです。


 生きた魚は清い水の流れに沿って生きるのが原則です。腐った中においても良心があり、真を求める人は、清い流れを訪ねて来ます。そうだとしたら、アメリカの志のある若者たちは、ここに来ざるを得ません。ここに来て問題になれば、一度に巻き込まれます。その時が来ると思いますか? (はい)。その時、立派であるという彼らに、「未来の世界に対して自信がありますか、生きていくことに、妻を愛し、父母としての自信がありますか、兄弟を愛する自信がありますか、自信のある人は手を挙げてください」と言うと、彼らも自信のないことが分かるでしょう。ではムーニーはどうでしょうか。自分自身に対して、家族、民族、世界、未来、神に対して自信がありますか? (はい)。我々はすべてに対して自信をもっています。(拍手) 先生はそのような時を見計らって、時を合わせてやっています。私たちはライフルを撃っているのではなく、機関銃を撃っているのです。それはどうですか。何と興奮させる内容でしょうか。そう思いますか? (はい)。私もそう思います。(笑い) 世界がだんだん近づいてくるでしょう。


 神がキリスト教文化圏をして世界が動かせるよう計らった三年間がありました。それは一九四五年から一九四八年までの三年間です。しかし、この三年期間を失ってしまいました。韓国は一九四八年に独立しました。その時に、韓国と共に統一教会も独立させてくださったのです。ユダヤ教も一九四八年に独立しました。その時から数多くの国々が独立し兄弟国となっています。真の父母が弱者となり、敗戦国が強者となりました。最近はどうですか。ドイツと日本が、イギリスとアメリカを屈服させることのできる段階に入ってきています。そう思いませんか。アメリカだけのために、ヨーロッパだけのためにと考えるときには、下がっていくようになります。ドイツは一九八〇年まで、日本は一九七八年まで、自分の国のみを中心としたら下がっていくのです。自分のためにという国はみな下がっていきました。しかし、ムーニーは世界のためであるから下がりません。(拍手) 私たちの目標は理想世界を求め、それは霊界にまで行くのです。それで霊界のためにやるので、早く早く地上を処理するために、霊界は私たちを助けその道を教えてくれます。


 今までレバレンド・ムーンは、宇宙世界の代わりの立場に立ってキリスト教文化圏を凌駕し、共産世界を追い出すことをしてきました。自由世界は共産世界に浸透され倒れそうになっているので、仕方なくレバレンド・ムーンを前に立たせるのです。(拍手) 彼らは嫌であっても、生きるためには仕方ありません。最初はこちらから来ました。(ジェスチャーを交え)そして回り始めます。(笑い、拍手) 夢のような話ですが、これは理論的です。ここに座っていることを誇りとしなければなりません。レバレンド・ムーンにおいて共産世界が終われば、すべてが終わります。世界を見てみると、統一教会が一番優秀であることは、既に決定しています。統一教会はこの世で最も恐ろしい団体です。(拍手) そして、サタン世界が震え上がる時、神は喜ぶのです。(拍手)


 一世は(反対、賛成)と二通りいますが、二世たちは、共産党の二世たちも私たちを好きになります。そのようになりますよ。最後の勝者は誰でしょうか。共産主義者ですか? (いいえ)。最も嫌われているムーニーが勝利を得るでしょう。そうですか? (そうです)。(拍手) そうなると私は考えています。そうならなければ、私がそのようにつくりましょう。いかにして? それは神の名のもとに。(拍手)


 このようにしてすべてを取り戻し、その次には天使を愛するのです。アダムとエバは万物を愛してから、天使を愛することができませんでした。本然の天使を愛することができなかったのです。


 誰が先に愛さなければならないかといえば、天使長がアダムとエバを愛して堕落させましたが、(本来)アダムとエバが天使を愛さなければならない立場です。この天使長の息子が誰でしょうか。アダムとエバがその後孫です。堕落した天使長がサタンとなりました。だから後孫がアダムとエバです。そこから探し出して、天の国の天使長にしなければなりません。


 (黒板使用)これが三年半、これが三年半、合わせて七年です。これが統一教会の七年路程です。ですから本来は七年以前に結婚することはできません。祝福を受けるには、三年間伝道して三人の信仰の子女が必要ですが、そのように祝福を受けてもさらに三年間待たなければなりません。婚約は許可するのです。そうしながら何をするのでしょうか。ここでは万物と天使世界、本然の世界を愛し、神を愛さなければなりません。これを整えずに、神の愛を受けることができません。これが公式です。このようにして初めて、神を愛することができます。万物を取り戻し、天使長を探し出して愛することのできたのちに初めて、神を愛することができるのです。今日統一教会はこの公式どおりに歩んでいます。


 万物の条件がなければ、自分を再創造することができません。伝道し三人の信仰の子女がなければ、自分が天使長を愛したという条件を絶対立てることができません。これが堕落しなかった状態です。万物を愛し天使長を愛し自由自在に接して、神に接することができる、そのような場が必要です。だから男性も女性も三人の家族をつくるのです。アダムが八人の家族を通じて落ちてしまったので、八人の家族をつくらなければなりません。男性と女性が三名ずつ伝道すると、自分たちを含めて八人になります。このような条件を立て、三人という条件が成立することによって、初めてここで、神を中心として上がっていくことができます。


 上がり始めたといっても、それはサタン圏内から外に出られません。そのままでは家庭から、氏族、民族、国家、世界まで出て行く道が分かりません。これは誰がやるかといえば、メシヤが来てやります。家庭を中心として接ぎ木しながら、この世界へと貫いていきます。これが三次七年路程になっています。


 レバレンド・ムーンが世界的に一九七六年を中心として世界的な迫害を受けながら貫いていきます。共産党、キリスト教、ユダヤ教、すべての世界が反対します。それで何で勝利するかといえば、愛しかありません。反対する人たちを愛で救ってあげる、それしかありません。このアメリカは怨讐の立場に立っていますが、「オー! 仁川」を作ってアメリカに愛国精神を植え付けようとし、ワシントン・タイムズを作ってアメリカを救おうとしています。これを見れば、レバレンド・ムーンが怨讐を愛したという結論になります。怨讐の世界的代表国家から、一つになってこのようなことを成しています。そうしながらより世界的な怨讐を愛します。このように貫いてきました。それでレバレンド・ムーンに従ってきた者はみな、(黒板で)ここを出たのです。


 ところで、ただ越えて行くのではありません。自分だけ行くことはできません。自分が神の国へ行く前に、このカインの世界、国家、家庭、これらのカインを連れて行かなければなりません。本来カインは兄です。双子の兄なのです。生まれる時には、兄が先に生まれてから、自分が生まれるようになっています。それでカインは先に生まれさせなければなりません。信仰の三子女が完全に一つになって愛してこそ、初めてアダム、エバが生まれることができます。堕落とは、この三人が一つになることができず、逆に支配したことなので、反対に三人が一つになって、アダムをアベルを崇拝しなければなりません。


 ムーニーの世界(Moonie World)は男性と女性(Man, Woman)という意味です。人間の世界は男性と女性ですから、ムーニーの世界です。英語は便利ですね。人間から始まって人間で終わるのです。アダムとエバから始まったので、アダムとエバで終わります。このように言うと耳によく入るでしょう。TM, TW, TG(黒板に)TMはTrue Man(真の男性)、はTrue Woman(真の女性)、TGはTrue God(真の神)です。今まで神は(TM, TWを)探してこられました。真の神、真の男性、真の女性は何をするのですか? (真の愛です)。真の愛はどこにおいてするかといえば、「家庭において」、これが統一理念です。これについて話そうとすれば、十時間ほどかかるので、ここで結論づけようと思います。


 皆さんが必要なのは何でしょうか。それは本来の状態です。そこには神がおり、アダムとエバがおり、すべてがありました。これらを連結させるものは愛でなければなりません。では私を中心として真の愛をしようとするとき、何が必要でしょうか。そこには三つが必要です。男性であれば、女性が必要であり、女性であれば男性が必要です。アメリカの皆さんは男性、女性を探すために、命懸けで探したのですか。それともただ、自分勝手に探しましたか。じっとしていたらやって来た人を、たまたま相手にしたというのではありませんか?


 皆さんはアメリカという国をもっています。しかし問題なのはこちらの中心が、この神ではなく異なった神であるということです。そして、サタンの愛と連絡されています。それで蕩減していくということは、失った反対の道をたどっていくことなので、私たち統一教会は信仰の子女が必要です。少なくとも三人ですね。
 アダムの家庭では八人の食口が堕落しました。その中でサタンを中心として三人の息子が落ちました。そのために三人の息子と三人の娘が必要であり、これ(三人の娘)は三人の息子を中心とした三人です。ここではサタンを中心として上っていかなければなりません。サタンの愛を中心として落ちたので、神の愛を中心として、ここから上がっていかなければなりません。そして何があるかといえば、万物があります。


 堕落してすべてを失ってしまいました。そこで万物の条件も立てなければなりません。統一教会が万物の条件を立てるのは再創造するためです。サタン世界になってしまったので、神の側には何もありません。神側に何もなくては、アダムとエバを再創造することができません。神はアダムとエバを先に創造しましたか、万物を先に創造しましたか? (万物です)。では万物をサタン世界に行って、取り戻してこなければなりません。世界代表を中心とした所に行って、世界代表した精髄を取ってこなければなりません。そこにおいては、すべての国が反対します。そのようにサタンが反対する中において、仕方なく探してきました。


 本来、すべての万物の所有は、真なる愛をもつ人がするのが原則です。「君(サタン)は真の愛をすることができなかったけれど、私は真なる愛をしたので、このものを私に渡してくれなければならない」と言うときには、サタンも仕方ありません。サタン世界の所有として愛する以上の愛する心で愛さなければなりません。それで十一条、サタン世界でも十一条の代わりに(税を収めています)。三掛ける三は九で、これが三段階(黒板使用)、十数は神側に入り十一条に対するものを取り戻してこなければなりません。その意味において、サタン世界から取り戻してこなければなりません。人類を愛し、世界を愛し、神を愛するにおいて、君(サタン)よりは優れているという立場に立って、取り戻してこなければなりません。精誠を尽くしてそうするのです。それは万物において、条件を立ててやったことであって、全体ではありません。全体の核心、種を取り戻してこなければなりません。条件というのは種です。それを取り戻してから、初めて自分自身が再創造されるのです。自分を通して再創造するにおいて、万物が必要です。万物を愛するうちに、万物を愛する本然の私になります。


 レバレンド・ムーンがこのような世界の人々を連れていく時、ただ連れていくことができないので、ここで蕩減条件を立てなければなりません。レバレンド・ムーンは堕落世界を出て、再びその世界に入らなければなりません。そしてここで中心にならなければなりません。何をもって中心になるかといえば、皆さんの三六〇軒ホーム・チャーチを基盤として、それが拡大されるその圏内に中心を求めなければなりません。皆さんが先生に従って、これから世界的に代わりに出て闘って、再び入ることのできるのがホーム・チャーチです。ホーム・チャーチで四方を経ていくときには、四方にそびゆる基盤になります。レバレンド・ムーンは迫害を通してやってきましたが、皆さんは歓迎を受けるでしょう。そのような時が来ます。三年路程だけ終われば、すべてが終わってしまいます。そう思いますか? (はい)。三年以前にホーム・チャーチ分配を受けて、出て行かなければなりません。


 機動隊の活動をしても、ホーム・チャーチはなければなりません。それは根拠地であり、基地なのです。機動隊は出かけていって戦います。それは戦争する時、統一教会が勝ったという基準をつくろうとするのです。勝ったということは、すべてのうわさが良いということになることです。それによってホーム・チャーチを早くつくろうとするのです。何の話か分かりますか。だからホーム・チャーチがなければ、天国は成せません。先生が六十年間やったことを、皆さんは七年でやるのです。一九八八年まで行けば、アメリカはみな摂理圏内に、ホーム・チャーチ圏内に入ってくるでしょう。良いというイメージが必要です。


 信仰の三子女が必要なのは、三大天使長と、アダムの三子女の基準と、サタン世界の兄のカインを探し求めるためです。また、旧約、新約、成約の時代(を完結することになります)。旧約時代は民族、新約時代は国家、成約時代は世界時代です。モーセは六十万大衆を連れてカナン復帰、イエス様は国家から天宙へカナン復帰、統一教会は世界から天宙へカナン復帰、最終的カナン復帰です。このような意味において、三段階に広がっていかなければなりません。そしてアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と、三代の神で表示されます。(そして父母は)第一アダム、第二アダム、第三アダムです。これらの者は、三人の信仰の子女として復帰される三天使長によって表されます。それゆえに三人の子女がなくてはなりません。絶対に結婚することも、生活することもできません。それでイエス様も三人の弟子を必要としました。分かりましたか?


 統一教会においても、三家庭があったでしょう。それを知らなければなりません。それから十二名です。この十二名でもって初めて四方が整い、私が中心に入ることができます。イエス様も十二弟子の家庭をつくっておいてから、イエス様の家庭が保護されるのです。十二家庭はイエス様も同様です。信仰の子女がどれほど重要であるか、分かりましたか? 三つのカインを求めなければ、自分が天国に行くことはできません。


 旧約時代にアベルとして生まれてみると、既に旧約時代の(カインの)世界があり、新約時代にアベルとして生まれてみると、新約時代の(カイン)の世界があり、成約時代にアベルとして生まれてみると、成約時代の(カインの)世界があります。三段階カイン、アベルが旧約、新約、成約をみな連結させるためです。それぞれの代表者として立てて、それが一つになることによって、このカイン世界が初めて方向を変えて順応する道が始まります。


 このような基準をなしていくのです。ここで復帰するにおいては、失った方向と反対の方向に、父母から、子女から、家庭から、氏族から、民族から、国家から、世界に、七段階になっています。このような全体が環境的に成された型が何かといえば、これがユダヤ教のイスラエル国家圏です。これは世界に対しての国家圏です。この中心からは自由に出入りできる圏、これがユダヤ教文化圏でした。メシヤはこの中心であるので、自由に出入りできます。そうだとすれば、七年以内にすべてできてしまいます。このようにして国家が形成されるとしたら、ローマは自然になくなっていきます。ローマは自然に腐敗して滅びていきます。これが成されなかったので、再臨時代にきてキリスト教文化圏が一つの世界的文化圏をつくります。そしてキリスト教はみんなメシヤを願っているので、メシヤは自由に出入りできます。同様に七年以内に世界が完全に一つになります。


 一九四五年に七年をプラスすると一九五二年、この時には完全に成されたのです。キリスト教文化圏が反対することによって、メシヤはほかの所に出ていったのです。そして再び堕落したと同じように反対の方向に行ったので、再び解いていくのです。


 これがレバレンド・ムーンを中心として見ると、ここには個人、家庭、氏族、民族、国家、世界の形として今まで基盤を築いてきました。今やユダヤ教やキリスト教と比較して統一教会は劣ることがありません。それで私たちはユダヤ教に勝つことができる人にならなければなりません。ユダヤ教を消化する群れです。次には、キリスト教の実を結ばせることができます。私たちはアメリカに勝つことかできます。サタンにも勝つことができます。このような基盤をつくりました。キリスト教がアメリカを中心として反対したので、キリスト教の代わりにこれを再び救ってあげようとするのが、この三年路程です。結局、キリスト教は反対したけれど、再び迎え入れる立場において、反対していたカインを愛でもって救ってあげるのです。


 これが一つになる日には、モスクワです。それでアメリカや、アメリカの教会や、自由世界が、レバレンド・ムーンに反対しては神の前に立つことができないと言って、レバレンド・ムーンと一つになる日には、自由世界と共産世界を救うことができるということが言えます。すべての世界がレバレンド・ムーンを中心として、自分の国を救おうという運動を展開させていくでしょう。南米がそういう結果になっています。アジアも共産世界から生き残るためには、レバレンド・ムーンが必要です。アメリカがレバレンド・ムーンが必要だというときには、世界が生きるのです。


 このようなすべての歴史の背後に隠され入り乱れたことを解くことのできる人は、いくら研究しても考えても、私しかいないと思うのです。いくら研究し調べてみてもいないのです。(拍手) レバレンド・ムーンが「そうだ」と言い、皆さんが「そうだ」と言い、神様が「そうだ」と言えば、それですべてが終わるのです。(笑い)


 すべての人に真の父母が必要です。(黒板で)これは全く逆に上がっていきます。一番最初には兄弟が上り、次には男性と女性を中心として、次は神が上っていきます。歴史時代において父母に出会うという事実は大変なことです。父母を失った孤児たちであるから、一つになることができないのです。どこに行っても一つになることができません。本然の父母の愛からすべてが始まって、父母と一つになって、神と一つになって、そこから生まれることによって子女となります。祝福を受けた皆さんと私は、このような立場に立っているのです。皆さんは父母と子女と万物世界の中心の位置にあります。男性と女性は各自が中心にならなければなりません。いくら父母があるとしても、父母と一つになるにおいては、皆さんが中心です。息子がいくら理想的な息子であるとしても、み旨と一つになる自分が問題です。自分自身が自分の怨讐なのです。心と体が一つになれなかったことが怨讐なのです。この心と体が一つになるにおいて、真なる夫の愛、真なる妻の愛、真なる神の愛があります。真なる神に侍ってから、真なる息子を愛する父母とならなければなりません。そうすることによって家庭が成されるのです。


 心と体が一つになるところに真なる愛が臨み真なる愛がなされ、夫婦の中で一つになって行くところに神の真なる愛が臨んで一つになってから、子女を生まなければなりません。自分の夫よりも、神様を重要視し、自分の妻よりも神様を重要視する、そのような人にならなけばなりません。皆さんの子供の時代にはそれは必要ではありません。それは父母たちがそうするからです。真の父母を自分の夫よりも、妻よりも愛する立場をとってから、夫を愛し子供を愛するのが原理です。


 それで、この三天使に当たる信仰の子女が、皆さんの子供を愛することができ、教育することのできる立場に立たなければなりません。この三子女は養子であって血統が異なるので、神の国に入ることができません。皆さんの子女を命懸けで絶対的に信任し、命までも捧げるほどに愛したという立場に立たなければなりません。そして皆さんの子女が、「あの三天使をして私と共に生きるようにしてください」と言うことによって、この三天使が神の国に入ることができます。このようにして、この信仰の三子女は神の国を相続する権限が与えられます。


 私たち統一教会の家庭からいえば、この三家庭全体が先生の子女たちをあまりに愛したので、先生の子女たちが、「三家庭も祝福を受けるように、神の国に共に連れていって住みます」と言うようになって、神の国に入るのです。そのように先生の子女たちが愛して、祝福してあげてくださいと言うことによって、特権を与えられるのです。このような伝統が立つために、このような原則があるために、ここから、ここで始まる伝統的、歴史的なことは変えることができません。いかなる強者が現れたとしても、奪っていくことはできません。何の話か分かりますか。


 これから皆さんの祝福家庭も同様です。皆さんの子女が信仰の子女に対してそのようにしなければならないし、信仰の子女と一つになった皆さんの家庭が先生の子女たちとそうしなければなりません。そうすれば、世界の人がいくら多くとも、全部がこの家庭の中心、血統についていこうとするようになります。だから統一教会の信者は家庭をもって、自分勝手にあちこちと行ったりすることはできません。ある一カ所についていきながら生きるのです。そのためにこれからの世界は、四十億、何千億の人類が生きるとしても、その中心圏において子女が一つとなっていこうとする世界、互いが「為に生きる」そのような世界になるでしょう。


 皆さんは今は教会の祝福を受けましたが、国の祝福、世界の祝福をすべて終えてから、その次にはそうすることができる(完全に自由にすることができる)時代に入ります。しかし、中心においては、先生の家庭においては神に対する伝統を受け継ぐ後孫、中心家庭――直系を受け継ぐ一中心があると思います。その中心一人だけいれば、その一人を中心として一つになることによって、すべてが上へと上っていくことができます。そうして先生はすべてのことを成したことになります。その時は中心を中心として先生の後孫たちも一つになります。(荒野)時代に皆さんが一つになるのと同じように、三代祝福圏を越えてそれが可能であって、それ以前においては絶対的に先生一代を中心としてそのような運動をしなければなりません。


 このような問題を見るときに、すべての世界において、私自身はいかに重要であるか、私が問題なのです。皆さんが問題なのです。皆さんがよくしなければ後孫がどうなりますか。サタン世界に生きて祝福を受けた人、その人は自分自身が問題になります。皆さんの後孫はそれほど問題になりません。信仰の子女が極めて精誠を尽くして侍って一つになって、その中で育てば(後孫には)信仰の子女が必要ありません。はっきり分かりましたか。だから皆さんは絶対的に信仰の子女が必要です。分かりましたか? (はい)。信仰の子女のない人が生きようとするそれ自体どうでしょうか? すべてが明確でなければなりません。このように見るときに、信仰の三子女、先生においては三十六家庭を代表した三家庭が、家庭の責任を成すことにかかっています。


 アダムとエバを天使長が教育すると同じように、先生の子女はこの三家庭と三十六家庭が教育するのが原則です。結婚する時までに、いかに神に侍るべきかをアダムとエバに誰が教育するかといえば、天使長がするのです。(では)父母はどこから要るか、神の愛の因縁はどこから要るといえば、成熟期において要るのが原則です。先生の子女も祝福を受けるためには、父母様を絶対的に信奉し、神を絶対的に信奉しながら、天使長に当たるこの三家庭三十六家庭の行動をよく引き受けて、成熟して結婚するまでには脱線してはならないのが原則です。先生の子供たちを見ても、原理的基準があります。


 今は自分自身が問題です。サタン世界にいるゆえに、自分の夫以外、自分の妻以外、子女以外には天使長しかいません。他の考えをもってはいけません。祝福を受けた子女たちは、祝福を受けていない人とは絶対に結婚できません。それは地獄の中の地獄に行きます。祝福を受けた人が外に出て結婚した、そのような人は再蕩減しなければなりません。あの世に行ってもそれが分別されます。祝福を受けて不正をすれば、サタンよりも悪いのです。サタンが讒訴します。これは直接主管圏に入って堕落したことになります。皆さんは知らないだけで、天理の法度は定立されています。だからよく知らなけばなりません。皆さんは、いかなる伝統を立てるかが重要です。このように(伝統を)立てておくことによって、そのまま父母の伝統を引き継ぐことができます。それで先生を中心とした三つの国家、三子女の代わりの三つの国を収拾していきます。アダム国家、エバ国家、カイン国家、アベル国家、先生を中心として三支派になります。そうすることによってすべて治められます。では信仰の子女が必要であることが分かりましたね? (はい)。


 皆さんの受けた祝福は国の祝福ですか、統一教会の祝福ですか? (統一教会です)。これから国の祝福を受けるとき、皆さんが良心的に妻と夫と子供の報告を書いて、条件に合格して、再び(国家的)祝福を受けることができます。それに合格できなければ参加できません。それで特別な期間を設定してそれを許す期間があります。それは荒野時代を乗り越えるものです。分かりますか? 何も食べるものもなく、難しい立場に(立つけれど)、外勢の侵入を受ける原因が残っているので、そうしたのです。その次は世界時代において祝福を受けるとすれば、皆さんは身内(族属)となるでしょう。そこに合格して初めて、天国に入ることの入籍が始まります。何の話か分かりますか。その時までは、先生の家庭と完全に一つとならなければなりません。



 その時が過ぎれば、先生の後継者が一人立ちます。世界が一つになり、先生の家族が一族になり、全部が一族圏にならなければなりません。そして先生の家庭においても、すべてを集めて会議をし、この原則に誰が一致したかを公的な会議によって決定します。より犠牲になり、より家族全体のためとなる人でなければなりません。それは、私たち統一教会の全体が知っており、統一教会の祝福を受けた全体が知っており、統一教会の先生の一族がみんな知っており、先生もお母様もみな知っているのです。その人が決定されたのちには世界は法的時代に入ります。天法、神の憲法時代に入っていくので、いくら神に近い人でも法にかかれば、法的処理として処罰を受けなければなりません。その法にかからない後継者を探して永遠に続くのです。分かりましたか? (はい)。


 そのような歴史過程において、現在祝福を受けた家庭がどれほど恐ろしい立場にいるか、知らなければなりません。皆さんが問題です。皆さんは先生がいないとしたら、先生の子女を訪ねていくでしょう。間違いなくそうなります。多くの兄弟がいますがみんな知っているでしょう。皆さんは遠くに離れていても、先生の子女たちの性稟を研究して(みて)、一つになるようにしなければなりません。これで統一教会信者が、これからどうなるかということを大概話しました。祝福を受けた家庭の子女たちも父母と一つにならなければ、国の祝福と世界の祝福の場に出ることができません。滅びゆくアメリカにおいて、(この世の)動物のような者を訪ねていって(交ざろうとする傾向がありますが)、祝福の子女におけるこのような行動は許されません。分かりましたか? (はい)。大体これからどうなっていくか、分かりましたね? (はい)。


 このような立場において、自分がいかに重要(な立場に立っている)でしょうか。自分を中心として、子女と万物と世界が私に祝福を(という立場ではありません)、祝福は皆さんが与えるようにしなければなりません。心と体が一つにならなければなりません。今日このような基準が立てられなかったならば、天国に入ることはできません。誰が命令したからではなく、志願して行くのです。機動隊生活は強制的にやるのではなく、志願してやらなければなりません。自分の妻や夫がいれば、「あなたはどうしてそのままいるのですか、早く出なさい」と言わなければなりません。イスラエル民族が四十年荒野時代において、子供たちはみな子供の責任をもつ部署に預けて、移動する際には、子供の責任をもつ部署が子供を連れて行くことになっているのであって、自分たちが抱いていたらみんな落伍してしまいます。皆さんも落伍者になり、子供も落伍者になります。夫を愛し、神を愛し、国を愛さなければなりません。私たちは統一教会よりも統一教国を愛さなければなりません。分かりましたか? (はい)。このような分かれ目を決定する自分にならなければなりませ。心と体が一つにならなければなりません。先生もお母様に対して考えるとき、心と体が一つになって愛するか、と常に反問するのです。他のことは考えません。お母様もそうであるはずです。


 それでどこに行くべきでしょうか。カナンの地に行くのは難しいけれども、ついて行かなければなりません。離れたならば、いつ見失ってしまうか分かりません。方向も分からなくなります。方向は先生が知っているのであって、お母様は知りません。お母様も先生のあとにぴったりと、ついて歩かなければなりません。「きょうは子女たちを思って子供たちを市場に連れて行くので、先生一人で行ってください。(あるいは)どこに行くにも一人で行って来ます」と思ったら大変なことです。荒野時代にあるゆえに子供たちもみな、「父はどこに行ったのか」と他のことは思わないで、どこへ行くにもついて行くという考えをもっていかなければ大変です。


 考えてみなさい。父母は皆さんの指図で行動するようになってはいません。むしろ、皆さんが父母を見失いはしないか、聞いたお話が実現できなかったらどうしようと、心配して夜を明かしながら待たなければなりません。もし、先生が船でハワイに行くときには、ついて行かなければなりません。国がない時には仕方がありません。寝ても覚めても、先生は神の国が指標です。そこにおいて民とならなければ、神の国に入ることができません。その国に倒れて死ねば、その国(霊界)に行って待たなければなりません。


 どこの国が先に、国民全体が一つとなって「レバレンド・ムーン、私たちの国を救ってください。早く来てください」と言い、神の国を引き受ける段階に入るでしょうか。そのような国が、一つ、二つ、三つ、四つとなれば、世界は一つになるでしょう。そのような時が来るでしょうか? (はい)。朴普煕氏が南米の大統領に会うと、「レバレンド・ムーンに私たちの国に来ていただけますか」と聞かれます。皆さんに対して説教する時代は過ぎていきます。先生はいつかアメリカを離れなければなりません。アメリカが先生を迎え入れない限り、他の国に行ってやらなければなりません。アメリカのほかにも国は多いのです。カインは準備しています。


 それで、先生は三年間でアメリカを祝福を受ける国にしようと動員しました。そこに後悔しないで、自由世界に被害を与えないように、どうせ始めたのだから、最後までやって決定しようとするのです。(先生がアメリカにいる間)他の国はどれほど悩み苦しんでいるか知ってください。それは私の便利な国を探して行くのではありません。世界万民にとって便利な国を探そうとするので、このようにしているのです。国の中心として、皆さんの家庭はこのように行かなければなりません。先生の家庭のように行かなければなりません。先生の家庭は子女たちも犠牲になっています。皆さんの家庭もそのように行かなければなりません。


 祝福を受けた家庭は手を挙げてみてください。皆さんそのように行きますか? (はい)。


 神様の祝福がありますように。(拍手)


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その2年後には文鮮明総裁の「一勝日」(1985.08.16)におけるみ言がありました。

 これから、先生以後に、孝進の後孫たちがそうするとき、代々に亘って受け継いでいくのです。誰が継代を受け継ぐかという問題ですが、もちろん、長男が受け継ぐのが原則です。しかし、長男がすべてにおいて不足のため、伝統を受け継ぐことができない場合は、兄弟たちを集めた公的会議の場で話し合わなければなりません。兄自身が自己の不足を認め、「家庭の伝統を立てることができないために、誰かが私の代わりに立って欲しい」と願い出るべきです。そのような要請があれば、公的会議または家庭会を開き、全員が祈祷した後に選定されなければなりません。

 ​それで、きょう私が祈祷し、聖水の儀式を行なうことにしました。この聖水には重要な意味があります。聖酒が問題になっていたと同じく、この聖水がこれから問題になるのです。ここで三兄弟を中心にした、十二兄弟による十二支派に統一教会の家庭を全部連結させる祝福をします。これは私が祈祷することで家庭が連結されるのです。今後、孝進はお父さんの代わりにいろいろな事をしなければならないけれども、すべての命令はお父さんからの指示を受けて行動するのです。決して自己の自由行動があってはならないというのです。祭司長に自己の自由な行動などあり得ないのです。国民が捧げる祭物の精誠の基盤の上に立ち、公的な行為を経てから、神の御旨の伝授を受けます。発電所から電線を通して需要のある所に送電し、電気の明りをつけてあげるのと同じ役割をするのです。中間の役割をしなくてはなりません。​

 私は孝進に尋ねるが、これからはお父さんの代わりに、この統一家のいかなる食口にも負けないように、中心的長子の責任を果たして行かなければなりません。その誇りある位置に立って、サタン世界を神に戻すための勝利の旗を掲げることを父母様の前に誓うだろうね。


 これからお前たち三人(謍進様、孝進様、ムンフンスク様)は、興進の分まで仕事を引き受けなくてはなりません。弟である興進の代りとなって働きなさい。興進のためにするのです。それで、興進が願っているのはお前たちが一つになることです。今、お前たちが一つになれば、三人が一つになることになります。三人のうち、姉さんは女性だから他家の人と思ったら間違いです。この基盤を一緒に作らないならば、姉さんもなにもありません。三人が共に倒れるのです。


 お前たちも責任を果たさない場合は、大変な事が起きるというのです。お前たち二人がしっかりと一つになれば、弟とぴったり一つになれば、兄さんもお前の話を聞かなくてはならないのです。二人が一つになってしたことであれば、正しい時はその話に従って行かなくてはなりません。また、兄さんがどんなに一人であっても、その話が正しい時はお前たちは反対してはいけないです。これを間違える日には、我々の家庭が亡びるのです。間違いが災いとなって襲って来る時、我々は億千万の人たちを道連れに地獄へと落ちて行くのです。


 そういう事にならないよう、お前たち二人はいつでも、お母さん、お父さんに仕えるようにしなさい。兄さんを神のような立場に立てて仕えるならば、神様も真の父母を愛するように皆さんを愛してくれます。全員がこうしなければならないのです。


 お前たち三人だけでもそのようにするならば、その次には姉さんたちや、その義兄たちも自然に一つになるに違いありません。


 それで、きょうは祝福された譽進、孝進、興進の三家庭を連結させるのです。家庭は息子が代表者となりますから、アジュマ(註・ここでは兄の妻をさしている)たちは下の兄弟たちの前に、代表者の妻としての教育をしなければなりません。姉さんもですよ。そのような行ないを通して我々の家庭を立てて行くのです。三人の息子だけが一つになれば、弟たちや妹の夫たちも皆付いて行きます。三人の息子はそのような重大な責任を持っているのです。


 皆さんの守るべきことは、皆さんだけでなく、後々の後孫たちも守らなくてはなりません。真なる家庭のあり方を伝えるのです。我々の家庭に残された息子・娘は全部で十二人です。やがて祝福された十二組の家庭ができれば二十四人で、十二支派を責任持たなくてはならないのです。お前たちが十二支派の責任者とならなくてはならないのです。いずれ、世界的支派を編成しなくてはならないのですが、お前たちが内的に一つになることで外的支派が編成されるのです。


 お前たちの家庭は、もうこれからは喧嘩してはいけないというのです。今までは知らないで争ったけれども、喧嘩したらいけないんだよ。そのために伝統が必要なのです。十二歳以前は喧嘩しても構いません。また二十歳になる前は、間違ったことをしても許してもらえることができます。

 その父母に対して、たとえひと言でも不従順をして痛い胸に針を刺すことは、自分が千遍死んだとしてもなしえないという、そのような血族であることを誓うお前たちにならなくではなりません。
……
 お前たちだけが、長子、次子を中心とする闘争観念をなくして完全に一つとなる日には、お前たちを通して、統一家を中心にした地上天国の理念が実現されていくのです。
……
(祈祷より)
 今、孝進君と顕階君と國進君に、十二家庭を代表した三家庭の息子としての責任を負うことを命じることにより、孝進君には兄弟を一つにするための重要な責任を果たすことを命じました。残る九人の兄弟たちをも一つにして、統一家の伝統的家庭を正しく立て、その因縁を祝福された教会の後世たちにそっくり渡し、拡張することのできる恥じなき長子とならしめてくださり、系代を受け継ぐことができるよう祝福してください。​



また、2018.3月にお母様が米国で語られたみ言です。



東洋においては、特に儒教においては、長子の概念が強いです。長子が家を引き継ぎます。長子が他界すれば、次男や三男が長男になるのではありません。系統は、長男の息子に引き継がれるのです。息子の責任です。どんなに叔父が年が上でも、長男の息子を中心として、長男に侍って、先祖に侍るのです。これが東洋の、儒教の文化です。


しかし、天の摂理においては、真の父母が天と地と人類の真の父母であるということです。その前にも後にも天と地と人類の真の父母はいません。それは、相続者とか後継者という概念が無いということです。わかりますか?


天と地と人類の真の父母の伝統を引き継ぐことにおいて、長子はその伝統を引き継ぐ中心人物となることができます。簡単に言えば、長子は大祭司に似た位置です。それぞれの国に大祭司はいます。それぞれの国に責任を持った人が、その国の大祭司です。しかし、真の父母の伝統を立てるという、摂理全体に関して言えば、世代を引き継いで長男が使命を引き継ぐのです。わかりますか?