peace2のブログ

韓国ニュースを中心に紹介しています。

「20ドル紙幣のデマ」--神様本体が「夜の神様(男性格)」では永遠性がない!!



『天聖経』み言葉と真の愛・生命・血統の主人(8)」から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


男性は男性を遠くするのだ。


  真の愛と生命と血統の主人になろう


 さ、結婚がそうだ。真の愛の主人になろう。言ってみなさい。「真の愛の主人になろう!」真の生命の主人になろう。「真の生命の主人になろう!」真の血統の主人になろう。「真の血統の主人になろう!」神様はひと方以外にいません。神様はひと方以外にいないがそのひと方が所願成就を一度もしてみることができなかった。


 神様が男性格に似たのか、女性格に似たのか?堕落したので人間に対して息子娘として愛してみたのか、愛してみれなかったのか?神様が結婚させてあげたとすれば愛するのを見て憎んだ、好んだ。息子娘が嫁に行って嫁を娶って二人が面白く生きれば‘私よりもあんたたちが幸福です。私よりもよい。私が至らなかったものものを補って私のクラス(class:等級)を越えて残ることができるので良い。’こうでなければならないのだ。


 モデル型がない。神様が願った男の生命、男の愛、男の血統!モデルがあるとしても、神様がいる。いるとしてもこれを植えて見ることができなかった。モデルの女がいないので。何故?堕落して全て壊れてしまった。


男性格を備えた神様がモデルの男性(アダム)に対して今後愛の相対とみなし、生命の結託者、血統の頭の基盤を残すと考えるのか?男性は男性を遠くするのだ。ここに女が入らなければならないのだ。


 男たちの中で絶対必要なのが男(アダム)だけであり、女(エバ)も入らなければならない?男だけ二人いるようになる時そこに一人の男(天使長)をなくして女と変えることができれば変えなければならない。自分のある財産を全部すべて売っても変えて男二人が争った場に女を買って置かなければならないのだ。

上記は堀勇一氏記事にない部分(水色)を私が足したものです。


文鮮明総裁み言小見出しは「真の愛と生命と血統の主人になろう」となっていましたが、み言「『天聖経』のみ言葉と真の愛・生命・血統の主人」の全体を見れば(1)~(9、完)までありました。ところが、堀勇一氏の引用はそれのは「『天聖経』み言葉と真の愛・生命・血統の主人(8)」からのわずか数行(青文字)であり、「男性は男性を遠くするのだ。」と別の小見出しまでつけて掲載していました。また、別の過去記事の引用リンクも載せてのそれでしたが、果たして、堀勇一氏は何が言いたいのでしょうか?
記事タイトル「男だけ二人いるようになる時そこに一人の男をなくして女と変えることができれば変えなければならない。」を見ても釈然としないものがあります。


上記からは「神様はひと方以外にいないが」、「神様が男性格に似たのか、女性格に似たのか?」とも文総裁は語られていました。堀勇一氏は、多分、神様は「男性格」のみとでも言いたかったのでしょうか?
サンクチュアリの亨進牧師の「夜昼の神様論」から、神様本体は「夜の神様(男性格)」だと規定していましたが、それを受けてのものでしょう。


しかしながら自称ルポライターtomy4509の検証によれば、

▲自称ルポライターtomy4509が文総裁み言から「夜昼の神様」に付箋紙を入れた検証結果


文総裁が語られていた「夜の神様、昼の神様」と亨進牧師の「夜昼の神様論」は全く別物で、多分、文総裁のある講演会場でたまたま耳にした英語訳の「夜昼の神様」についての誤訳からではなかったか、というのが私からの推論でした。


しかしながら、神様本体が「夜の神様(男性格)」は原理的に見てもあり得ないことです。
創造原理では「神の二性性相」が解かれていました。それに似せて被造世界もそうなっているというものでした。また、何故「二性性相」なのかというと、それも創造原理には明記されていました。

(六) すべての存在が二性性相になっている理由


いかなるものでも、存在するためには、必ずある力を必要とするようになるが、その力は授受作用によってのみ起こる。けれども、いかなるものも単独で授受することはできないので、それが存在するための力を起こすには、必ず授受作用ができる主体と対象との二性性相として存在しなければならない。


また直線上の運動においてはいつかは終わりがこなければならないので、このような直線運動をしている存在は永遠性をもつことができない。それゆえに、いかなるものでも、永遠性をもつためには回転しなければならないし、回転するためには主体と対象が授受作用をしなければならない。それゆえに、神も永遠性をもつために、二性性相(の中和体)としていまし給うのであるし、神の永遠なる対象である被造物も永遠性をもつためには、神に似た二性性相として存在しなければならない。そして、時間も周期的な輪廻によって、永遠性を維持しているのである。

ところが、サンクチュアリ教義の神様本体は「夜の神様(男性格)」では神様自体の永遠性を持つことが出来なくなります。
したがって、それは明らかに原理に反する「非原理」を亨進牧師が語っていた「20ドル紙幣のデマ」ということになります。
余談ですが、家庭連合は「神の二性性相」ということで神様を「天の父母様」と呼んでいますが、非原理集団のサンクチュアリ教会だけでなく、同様に、郭グループもそれを否定していました。


「真の愛の主人」、「真の生命の主人」、「真の血統の主人」になるためには男性二人だけがいてもそうなることが出来ないというものです。そこに「女性」がいなければ、です。神様も同様であり、神様が「男性格」としてのみいらっしゃるとすれば「神様は愛なり」といったことも出てこないでしょう。神様自体も二世性相(の中和体)としておれれなければです。


サンクチュアリ教会は「原理講論」を手離したままでは神様の元に帰ることは出来ません。「メタノイア(悔い改め)」が必要でしょう。



闇の魔女史 世界の魔女と魔女裁判の全貌
闇の魔女史 世界の魔女と魔女裁判の全貌
グラフィック社