peace2のブログ

韓国ニュースを中心に紹介しています。

Re:一郎さんへ、『家庭連合には「後継者(相続者)争い」は無い!!』


真の後継者


 賢い者はひとたび歩み始めた道を全うします。中途で終わる者にはいかなる勝利もなく、勝利は耐え忍んで最後まで全行程を走り抜く者の上にのみあります。先生も神の道を行きながら、常に第一の道のみを行こうとしてきました。み言に関しても、自分に従ってくるものたちのためにも、何度も何度もあり得る限りの慎重さをもって、正しいかどうかを吟味せんとしました。


 実験室の研究者が、何か新しい発見をせんとする時に、その理論が本当に正しいかどうか絶対的に確実にしようとして、何度も何度もテストを重ねた末、それから世界に発表しようとするように、先生もすべてを絶対的に確実にするためには、自らの歩む全路程を通して、徹底的に実験し試験し尽くしました。それを通してこの世界のすべての真理を解明せんとしたのです。あなた方も既に神への誓約書に署名した兵士として、中途半端な道を行くことなく、最後までひたすら前進してほしいものです。そして「私は先生以上に行きたい、先生と競争して打ち負かしたい」とそういう人物の現れることを先生は待っています。


 先生は何度も思ったことがあります。「私はまだ死ぬことができない」と。残念ながら自分が第一線をあとにする時、使命を託すべき後継者がまだいないということです。「この者に、自分の使命を残して行くことができる、死ぬことができる」という確信を先生に与えてくれる者はまだ一人もいないのです。「誰が、私が神を愛したほどに神を愛してくれるだろうか、私が死んだのちに誰が私の神を見てくれるだろうか。親孝行してくれるだろうか」とそれだけが心配なのです。誰か「私が神様を見ますから、先生は後ろに立って見ていてください」と言う人がいるとすれば、その人こそは歴史においても私たちの教会においても主流的人物となり、永遠に滅びることなく、その子孫はアブラハムの子孫のごとく栄えることでしょう。


 先生は今、韓国式に数えて五十八歳ですから、七十歳までにあと十二年あります。そして二十二年たてば八十歳になることを考えると、自分が全面的に働くことができるのはあと十五年だと見ています。この十五年間に誰か後継者を見いださなければならないということです。長男の孝進さんとも真剣にそのことについて話し合ったことがあります。「お前は先生の息子として、自分がどんな道を歩み、どんな備えをなしておくべきか分かっているだろうね」と。その瞬間、いつも元気いっぱいな熱血家で行動的な孝進さんも、さすがに真剣そのものになりました。


 このような破滅へと運命づけられているかのような世界をあとに残すのでなく、何としても復活していく世界を残したいと願っている先生ですから、生きているうちにこの運動の基盤を完成していくために、自分の生涯においてありとあらゆる苦難、頭の痛いこと、苦々しいこと、嵐のごとき非難、迫害等良くないことのすべてを一身に受けることを決意して、「どうか我にすべての重荷を負わしめ給え」と祈っている先生です。


 そうすれば、あなた方の時代、あなた方を中心とした時代が来る時には、もはやそれらを過去のものとして、この運動は興隆していくことでしょう。あなた方も迫害の中にあって、「これ以上迫害されるのなら去ったほうがましだ」と考えるか、それとも「迫害が大きければ大きいほど、より大きな責任や使命をもつことであるし、より大きな挑戦をしてより大きな実績を上げ得るということだ、よし私が全部引き受けて処理しよう」と考えるか、いずれか二つの立場があります。


 先生が二十四年前に統一教会を創立したように、あなた方も自分の任地であなた自身の運動を創始したのです。それぞれの地で新しい教会を創立し、その地のレバレンド・ムーンになろうではありませんか。



出典:文鮮明総裁み言『御旨と世界「創立以前の内的教会史)」(1977年5月1日 ニューヨーク ベルベディア)』より抜粋


文鮮明総裁のみ言は1977年5月1日に語られていたものですが、「一郎さん」記事からは韓鶴子総裁を貶めては、その後継者がサンクチュアリ教会の「荷台王」であるかのような錯覚されているようです。


しかしながら、自称ルポライターtomy4509は「真の父母様宣布文サイト」で紹介されていた、お母様は「第二教主」だと語られた文鮮明総裁のみ言等を挙げてはその間違いの指摘をしていました。



さて、改めてそれからの一部を以下に引用しました。文鮮明総裁のみ言から韓鶴子総裁(真のお母様)が「第二教主」であられることを何度も語られていました。

 真のお父様は、真のお母様が父母様の代身であり、第二教主であるとして次のように語っておられます。

 「今ではもう、お父様が一人でいても父母様の代身であり、お母様が一人でいても父母様の代身です。『お父様が70を越えたので、後継者が出てこないのか』という話はやめなさいというのです。……ですから、お父様が第一教主であり、お母様は第二教主です。今までは女性たちが男性に付いてきましたが、これからは水平です」(天一国経典『真の父母經』1438~1439ページ)


 ところで、真のお母様の自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』(以下、『平和の母』)には、真のお父様が「顧命(王の遺言)」として、真のお母様が神様の使命を引き継いで果たしていけるように事前に宣布しておられた事実が記されています。

 「1991年6月には、カナダのクレアストーンの本館で『顧命性宣誓宣布』が行われました。『顧命』とは、『王の遺言』を意味する言葉です。文総裁は御自身が聖和した後も、私が神様の使命を引き継いで果たしていけるよう、日本の女性代表が責任を持って真の母を支えていくべきことを、顧命として宣布されたのです」(『平和の母』220ページ)

 「この瞬間、『統一教会の第二教主』としての、私の重大な使命が明確になったのです。人々は驚いていましたが、私は静かにその言葉を受け止めました。世を救う独り娘、平和の母としての使命は、既に30年前から与えられたものでしたが、私は文総裁が最前線で摂理を率いていけるよう、内助に最善を尽くしていました。その日、第二教主を発表したのは、モスクワで起こり得る不測の事態に備えながら、今後のことを念頭に置いた上での措置でした。1990年3月27日、統一教会の名節の一つである『真の父母の日』を迎え、アメリカのニューヨークで行われた記念礼拝で『女性全体解放圏』が宣布されることで、私は統一教会の第二教主となりました。

 その後、1994年11月27日には、ニューヨークのべルベディアで第二教主としての私の公的使命が改めて公表され、その意義が強調されました」(同)


 真のお母様が「第二教主」であることを、真のお父様はその後においても、次のように繰り返し語っておられます。

 「統一教会に文総裁がいなくても、韓総裁が教主になれるのです」(マルスム選集401-158、2003年1月6日)

 「さあ!『……真のお母様、第二教主世界的宣布、1994年11月27日、ベルベディア修練所』。お母様に拍手を一度送りましょう。(拍手)お母様はそれを忘れないように」(同404-101、2003年1月30日)

 「先生が霊界に行けば、お母様が統一教会の教主にならなければならないのではありませんか」(同499-184、2005年7月2日)

 「(先生が)急に霊界に行っても、……お母様が統一教会の教主になったからといって軽んじる者はいないのです」(同523-246、2006年4月5日)

 「統一教会の教主となった文総裁が死んでも、お母様を教主として立てるからといって、統一教会を韓国が反対できる歳月はすべて過ぎ去ったのです」(同524-213、2006年4月13日)

 「文総裁は衰えるようになりましたが、……第二教主には、お母様が堂々としているでしょう。分かりますか。夫が成せなかったことを成し遂げなければなりません」(同540-73、2006年9月23日)

 「お母様は、お父様よりももっとたくさん行います。年齢が若いので、私が死んでも教主は問題ありません。もはや、教主は二人が一つになっているということです」(同541-146、2006年9月28日)



 さらに、真のお父様は次のようにも語っておられます。

 「今ではもう先生がいなくても、お母様だけいればみ旨に何の支障もないというのです」(『真の御父母様の生涯路程➉』348ページ)

 「お母様を中心として皆さんが一体になっていかなければならない時が来ました。もう先生がいなくても、お母様が代わりにできる特権を許諾したというのです。お父様がいないときは、お母様のことを思わなければなりません。そのように理解して、先生の代わりにお母様に侍る心をもち、祈祷もそのようにするのです。今までは先生を愛してきましたが、これからはお母様を愛さなければなりません。これからはお母様の時代に入っていくことを理解して、特に女性たちはそのようにしなければなりません」(『真の父母の絶対価値と氏族的メシヤの道』116~117ページ)

 「先生が霊界に行くようになればお母様が責任を持つのです。その次には息子・娘です。息子がしなければなりません。息子がいなければ、娘がしなければなりません。後継する者が誰だということは既に伝統的に全て(準備が)なされています」(マルスム選集318-260)



 これらのみ言を見ていくと、真のお父様はご自身の聖和後のことを考えられ、「実体聖霊」であり、「第二教主」である真のお母様を中心に、私たちが一体となって歩んでいくことを願っておられたことが分かります。そして、もし真のお父様が実体的に成せなかったことがあったとするなら、真のお母様を中心にそれを実体的に成し遂げていかれるよう願っておられたのです。

 それゆえ、神様は「天の国の真の母になることができ、真の妻になることができ、真の王妃になって余りある女性を求め」ておられ、「そのような召命を受けるときは、勇敢無双にサタン世界を退けて進んでいける女性」が「真の母」であるべきことを願っておられたのです。

 真のお父様ご自身も、真のお母様に対し「私がお母様を称賛するのではなく、お母様に良い点が本当に多いのです。素晴らしいというのです。……顔を見れば分かるのです。慎ましいのですが恐ろしい女性です。一度決心すれば、最後まで自分一代でこの複雑な恨の峠をすべて清算するという決心が、私よりもお母様がもっと強いのです。……先生よりもお母様をもっと重要視することができる統一教会の食口になれば福を受けるのです」(『真の御父母様の生涯路程⑩』351~352ページ)と語っておられます。


このように、


家庭連合では「後継者(相続者)争い」は存在しません。


UCIグループ(三男派)やサンクチュアリ教会(七男派)がこれまで勝手に騒いでいた経緯はありましたが、これらも近い将来において終息していくものと思われます。特には、昨年5月に韓総裁が「天の父母様聖会」を発足されてからは、それらとの明暗が顕著となってきたことがその兆しともいえます。



ここで紹介・引用されていたみ言は1977年からはるか後のことです。時代の経過とともに天の摂理は発展・拡大しています。


以下のお父様み言からも、一郎さん主張の1992年からお母様が反逆を始められたという主張は覆っていました。