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サンクチュアリ「不母主義(無精卵)」からは神様は誕生しない!!


諸星くると氏記事引用:

宇宙の根本 第二章人間創造と愛の理想の完成一、愛の絶対価値1.人間の男性と女性

神様の愛と人間の愛がいつ一つになるのかということが問題です。これが歴史的な問題であり、宇宙創造以降の重大な問題です。これが解決されない限り、宇宙の根本が解決されない限り、絶対に結果が解けないのです。真の愛を中心としては、神様は核の位置に立たなければなりません。それでは、アダムとエバは何でしょうか。アダムとエバは、核を包み込む二つのかけらと同じです。皆さん、くりのようなものを見れば、二つのかけらになって胚芽を包んでいるでしょう? それと同じように、神様を核として、男性と女性が愛を中心として完全に一つになるのです。

上記記事への自称ルポライターtomy4509からのコメント(承認待ち):


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023/08/04 06:34(投稿。20:51現在、非公開)

諸星くるとさんへ

タイトル「第4回ズーム本体論勉強会「夜の神様の絶対孤独!幼年時代!」」ですが、「絶対孤立」とはどういう意味でしょうか?

一般に「孤立」とは以下です。


① 他から離れて一つだけ立っていること。また、仲間がいなく一人ぼっちなこと。他の助けがなくただ一人でいること。


「孤立」といっても他者との関係で言われることが多いです。

「夜の神様、昼の神様」という場合、詳しくは創造前の神様をイメージすれば「夜昼」に分かれた神様は居られませんでした。「夜」といえばその対語としての「昼」があって言えるものです。したがって、「夜の神様」、「昼の神様」といえば創造が始まって後の区別として言われたものでした。「絶対孤独」といっても、あなた方(サンクチュアリ教会)の「夜昼の神様論」からはそのままであっても(神様が誕生しなくても)何ら問題はないものです(諸星くると氏のビデオからは以下)。





◆「文鮮明先生御言選集 19990604 - 愛の主人となるために | 奇  知  外  記 - 楽天ブログ

 愛は相対から来るもの


 神様、アダム・エバです(図1を書きながら説明される)。子女として育つのです。三歳までです。これは三歳から七歳まで、七歳から十四歳、十四歳から二十一歳です。このようにして、すくすくと上がっていくのです。神様一人では愛の主人になることはできません。なぜ、創造したのかというと、神様が愛の主人になるためです。


 赤ん坊を生んで育てることによって、子女に対する愛、子女の主人になるのです。その次に兄弟です。兄弟時代です。子女の愛、兄弟として育つのです。女性が行く道、男性が行く道をそれぞれ行き、十四の時まで兄弟同士愛すれば、兄弟の主人になるのです。


 これは夫婦です。夫婦の愛の主人です。その次に無限な世界である霊界と一つにならなければなりません。これは何かというと、父母です。父母の愛の主人です。この四大主人になるのです。子女を愛する神様は、父母の立場で子女を愛する主人にならなければなりません。先祖にならなければならず、兄弟を愛する先祖にもならなければなりません。夫婦を愛する最初の先祖にならなければならず、父母になって、子女を愛する最初の愛の主人にならなければならないのです。


 それでは、なぜアダムをつくったのかというと、四大心情圏の主人となるためです。何のことか分かりますか? (「はい」)。これがなければ、いくら神様でも主人になることはできません。愛を感じることができません。しかし、そうだといって、神様が愛することのできる素性がないわけではありません。相対が現れれば作用するのです。しかし、そうでなければできません。


 ​女性にも愛があります。あなたは愛をもっていますか? (「はい」)。(笑)もっているのです。生命があります。血統があります。良心があります。しかし、一人でいくら努力したとしても、愛と生命と血統の主人の資格をもつことはできません。だれのゆえにもつことができるかといえば、夫ゆえです。夫を愛することによって、この女性が、愛に対する主人になることができ、生命に対する主人になることができ、血統に対する主人になることができ、良心の主人になることができるのです。男性も、女性ゆえに主人になることができるのです。​


 切ってしまってはいけません! 離婚するということは、切ってしまうということであり、それはすべてを否定することです。初愛の主人になることができ、生命の主人になることができ、血統の主人、良心の主人になることができるのは、最初に結婚した夫です。美人の女性が、どのようにして愛を知り、生命と血統を感じるようになるのですか? どのようにして相対を感じることができるようになるのですか? それは、必ず初愛を通してなのです。これほど、初愛は貴いのです。


 母親が子女を育て愛しながら、この過程(図1)を経ていくのです。神様が感じることができなかったその愛を感じることができるようにするために、相対になっているのです。そのことを知らなければなりません。