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第4弾:”厚顔無恥”の仔羊さん、もう”だましのテクニック”は通用しません!!

自称ルポライターtomy4509

”厚顔無恥”の仔羊さん、もう”だましのテクニック”は通用しません!!(No.2)からも

文総裁のみ言を悪用しながら、

それに自分勝手な彼の注釈を入れることでピンポイントに読者を集中させては

あたかもそこに問題があるかのような誤認をさせようとするのが、

仔羊さんの ”だましのテクニック” です。

と、彼の ”だましのテクニック” の指摘をしていました。

にもかかわらず、なおも同じことの繰り返し

の記事更新(12月31日に続き、1月2日)が続いています(以下)。



さて、前回の自称ルポライターtomy4509記事「第3弾:”厚顔無恥”の仔羊さん、もう”だましのテクニック”は通用しません!!」からは、「圓球ピースカップ」と世界大会の「ピースカップ」大会は別物だと提示していましたが、調べて訂正されることもなく相変わらず自分勝手な解釈に終始していました。


さらには、「②(※2)「圓球」「圓球ピースカップ」とは 何か? ➡ 女性の生殖器」は文総裁も語られていない仔羊さんの跳躍した自己解釈でしかないこと、読者の方々も「だましのテクニック」であることは十分に理解されたことでしょう。


ーーーー (※1)の解説 ーーーーー


①「圓球ピースカップ」とは➡外的には文先生が創設した 世界的サッカー大会です しかし 摂理的には比喩の手法をもって語られています

 ➡ 「比喩の手法」とは  こちら ➡(クリック先の御言葉〔B〕)


②(※2)「圓球」「圓球ピースカップ」とは 何か? ➡ 女性の生殖器

圓球ピースカップは サッカー大会の優勝カップですが ここでは 文先生は 女性の生殖器を比喩として語られています


 ➡ だから 「圓球=圓球ピースカップ=女性の生殖器」をとおして

 ➡ 「(※1)「圓球」というこの言葉を中心として先生が現れる」と言っているのです


…(略)…


 ➡ 72歳となられた文先生は 1992年に 40年サタン分立路程を勝利され 再び真のアダム基準を復帰された立場に立たれました

 ➡ この時 文先生は「真の父母宣布」をなされました

 ➡ つまり この時 文先生は お母様に真のエバの基準を願っておられたのです 

 ➡ しかし お母様はすでに子供を産むことができない年齢になっていましたし ➡ それ以上に (文先生が訪韓修の御言葉で ザカリヤ・エリサベツ・マリア・ヨセフの関係を 繰り返し繰り返し語られたように) 神様は文先生に対して 本妻の立場ではできないのが原理であった為 妾の立場の新婦を用意されていたはずだったのです 

さらには、「72歳となられた文先生は 1992年に……「真の父母宣布」をなされました」ですが、「メシヤ=再臨主=真の父母」宣布は女性連合創設大会の1990年、ここにも彼の誤った自己解釈を刷り込んでの女性修練会のみ言につなげようともしていました。


さて、改めて「圓球ピースカップ」に関する文総裁のみ言を『天一国経典・真の父母経』からの引用を紹介することで、彼の「圓球ピースカップ」の自己解釈の間違いを再度報告していきます。


ここでは「圓」そのものの字の解説を文総裁がされておられ、彼のいう「女性の生殖器」は一切ありませんでした。

カイン・アベル圓球ピースカップ

 圓球ピースカップは、国境、人種、宗教の壁を越え、人類の平和と和合を図るために準 備された祝祭の場である。二〇〇九年八月十五日、京畿道の城南総合運動場で「東西南北圓球ピースカップカイン・アベル天宙連合大会」が開催された。続い て、二〇一二年三月二十三日、「カイン・アベル圓球ピースカップ天宙連合大会」が、京畿道の南揚州(ナミャンヂュ)体育文化センター総合運動場で開催され た。圓球は、一つの中心を基準に、上下、左右、前後が九〇度で完全に一つとなり、どこにも偏らない均衡を形成することを意味し、圓球ピースカップは、真の 父母様を中心に完全に一つとなって開催する平和の祭典を意味する。


7 圓球ピースカップ大会は、オリンピック大会よりも偉大です。オリンピック大会の花であるマラソンは、ギリシャの兵土がペルシアと繰り広げた戦争の勝利報告 を国に伝えるために、約四十キロメートルを走ったことを記念するためにつくった競技種目です。こうして、この体を中心として、国に捧げられる最後の峠を越 えるに当たって貢献したことが、オリンピックの伝統歴史になりました。それ以上にしなければなりません。ですから、圓球ピースカップは、オリンピック大会 以上の行事として出発することを、既にお父様が発表しました。


8 ワールドカップやオリンピックを凌駕できるのが「圓球」です。それが「圓球」というものです。「圓」という字は、四角(国構え)の中に各々の人(員)が 入っています。個々人、個性真理圏のすべてのものを包括するというのです。個性真理体が「圓」の字の中に入ります。入らないものがありません。圓球とオリ ンピック大会さえ支配するようになれば、世の中のすべての人間の趣味や楽しいことは、この圏内にすべて包括されるのです。「圓」という字がそうなっていま す。個人(員)という言葉が入っています。二つの四角(国構えと口)と「貝」の字です。「貝」という字は、「目」を支えています。

 カインとアベルが神様を持ち上げなければなりません。絶対の中において、唯一、不変、永遠が支えなければ、絶対という言葉自体が成立しないのです。 すべて道理にかなった言葉です。圓球ピースカップ、その名前自体を見るとき、オリンピック大会は問題ではありません。「圓球ピースカップカイン・アベル天 宙連合大会」は、決着をつけることができる表題です。


9 父母を中心として、父子関係だけでなく、前後関係がすべてつながることができます。カインとアベル、これが公式的な原理です。ですから、圓球ピースカップ です。ピースカップは一人ではできません。二人でなければなりません。圓球も、ピースカップがアベルなので、アベルに付いていこうとすれば、一つにならな ければなりません。肉界だけでなく、霊界まで一つにならなければなりません。

 統一教会が霊的な事実をはっきりと知らなければ、どうして圓球になりますか。地球のアベル的基準を前にして、霊界がカインの立場に降りてきて、アベ ルに侍らなければなりません。これが一つになるのです。神様までも、誰が解放するのでしょうか。アベルが解放するのです。降りてきて一つになるので、解放 されるのです。ですから、カインとアベルをあらゆる方面に編成すれば、一瀉(いっしゃ)千里で世界は一瞬にして回っていくのです。


10 平和の王と女王は父母の位置であり、平和の子女はカインとアベルの位置です。その下は千万に枝分かれしても、定着できるのです。安着ではなく定着です。そ の種は、どこに持っていって植えても、芽を出すことができます。そのような種を残していかなければなりません。それが総論になります。ですから、圓球ピー スカップです。子女を代表しては、カインピースカップとアベルピースカップです。王と女王、二人が一つになって和合し、一体になる家庭の定着は、永遠に天 の国の種として発展していけるのです。

 アダムとエバの位置が王と女王の位置であり、カインとアベルの位置は息子と娘の位置です。一代と二代が一つになって定着する家庭さえ形成されれば、 そこに定着したものが永遠の種になります。理想家庭といえば、王と女王、そして息子、娘によって形成された種のような基盤であり、その基盤の上で、千や万 に分かれた個性真理体が出てくるのです。


前回記事でも紹介していました「圓球ピースカップ」では、東西南北の四方からボールを蹴り入れる始球式がされましたが、このような意味が込められていたものでした。


 

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