救援摂理史の原理観・イエス様を助けなかった人々
救援摂理史の原理観・イエス様を助けなかった人々
2026/06/29
救援摂理史の原理観
1996.04.16 ワシントン・タイムズ財団創立大会 ワシントンD.C.
尊敬する内外の貴賓、高名なる紳士淑女の皆様。今日、歴史的大変革の時代を迎え、レバレンド・ムーンと皆様が相まみえるようになったことを、神様に心から感謝するものです。
神様は絶対者であられ、唯一、不変、永遠であられるお方です。そのみ旨も同じなのです。人間アダム、エバが神様の愛で一体になったなら、万事は完全、完成なのです。ですから、神様の出発、目的とその過程も、そして原因と結果とその方向も絶対的なのです。
人間始祖アダム、エバは無知から堕落し、混沌に陥りました。個人的な無知と混沌から、家庭、国家、世界的無知と混沌に陥るようになりました。この堕落圏を逃れるためのものが宗教と救援摂理の努力なのです。
終わりの日にメシヤが来て、神側で見る絶対、唯一、不変、永遠なる原因と方向と結果をはっきり教えてあげ、無知と混沌世界を清算して本然の神様の懐に帰るべきなのがみ旨の完成です。そのようにならなければ、終わりの日にすべての宗教も主義や思想も国家も皆滅びるようになるのです。
今、私たち人類は、わずか数年で二十一世紀を迎え、二〇〇〇年代の新しい歴史時代に入るようになります。このような重大な時点で、私は「救援摂理史の原理観」を主題としたお話で、新しい時代を準備する私たちの心を確認しようと思います。
創造主と人間との真の愛を中心として完全完成を願う神様は、人間と一体となる条件が必要でした。それで、神様は人間始祖に下さる戒めが必要だったのです。人間が成長期間を育って上がっていく未完成段階にいたことをご存じで、神様は子女である人間に最も貴い真の愛を相続させてあげようとなさる条件が、戒めでした。
本来、真の愛は経験を通して得て、体恤(たいじゅつ)を通して分かるようになっていました。真の愛は言葉や文、あるいは一般教育を通して体得できるものではありません。生活を通してのみ、完全に体得するのです。赤ん坊としてつくられたアダムとエバは成長しながら、段階的に生活を通して経験をすることによって、真なる子女の心情、真なる兄弟の心情、真なる夫婦の心情、真なる父母の心情を体恤することによって完成するようになっています。神様の真の愛を全体的に体得するとき、初めて創造目的を完成した理想的な人間になるのです。
人は自分の愛する相対が、自分より何千万倍、いや無限大の価値的存在として生まれることを願います。このように神様も、ご自身が愛する相対である人間が無限なる価値的存在になることを願われるのです。人間が完成すれば神性を成し、天の父が完全であるように、完全で神様的な価値を成すのです。
神様が絶対者であられますが、真の愛の理想は一人では成されません。愛の理想は必ず相対を要求するからです。私たちはここで神様の真の愛と人間の真の愛の出発と完成が互いにいかなる連関をもっているかを知らなければなりません。もし、神様が真の愛の絶対的な対象体として人間を立てずに、ほかの方法を通してご自身の真の愛の出発と完成を成そうとされたなら、どのようになるでしょうか。神様と人間の真の愛の理想は、おのおの動機が異なり、二つの愛の方向と目的は異なるしかなくなります。このようになるなら、神様の愛の理想は人間より上位のまたほかの愛の対象を立てて成さなければならず、一方で人間の愛の理想は神様と直接的な関係をもてなくなってしまいます。
真の愛の主体者であられる神様は、その真の愛の相対として人間を立てました。神様の愛の理想は人間を通してのみ完成されるのです。神様の創造目的は神人愛一体の絶対的愛の理想世界です。人間は神様の最高最善の愛の対象としてつくられました。それゆえに、人間は創造物の中で唯一、神様の実体を身につけた対象です。無形の神様の前に、見える体として生まれました。人間は完成すれば神様の宮になります。神様が自由に、また平安にいつも入ってきて、住まわれることのできる有形の実体です。
絶対者である神様の真の愛の全体的な理想は、人間を通して父母と子息の縦的関係で実現完成します。
神様はご自身の体としてアダムを先につくりました。アダムは神様の息子であると同時に、体をかぶった神様自身でもあります。その次に、アダムの相対者としてエバをつくって、横的な愛、すなわち夫婦の愛の理想を完成しようとしました。エバは神様の娘であると同時に、神様の横的愛の理想を実体で完成すべき新婦でもあったのです。
アダムとエバが完成して神様の祝福の下に結婚をし、初愛を結ぶその場は、すなわち神様が実体の新婦を迎える場なのです。アダムとエバの夫婦の愛の理想が横的に結実するその場に、神様の絶対愛の理想が縦的に臨在、同参なさることによって、神様の真の愛と人間の真の愛が一点から縦横の基点を中心として出発し、一点で結実完成するようになるのです。
神様の創造は必然でした。目的のない創造は仮想することができません。神様において創造が必要であった理由は、ただ一つ、真の愛の理想でした。最も簡単で低級な被造物から人間に至るまで、おのおの主体と対象、陽性と陰性のカップルで展開なさった理由も、愛の理想の下で相対関係を形成するためなのです。創造物の愛の理想と神様の究極的な愛の理想は別個ではありません。人間世界の男性と女性の愛の完成を通して、神様の絶対愛が完成するようになさったのが、創造原理です。初めに人間をアダムとエバ一男一女として創造なさった理由もここにあります。
神様の創造目的はアダムとエバが真の愛の主体であられた神様の戒めを守って真の人として完成することです。さらには神様の真の愛で一つとなった真なる夫婦になるのです。また、彼らがその真の愛の中で息子・娘をもち、幸福に豊かに暮らすことのできる真の父母になることです。アダムとエバが真の愛で完成することは、まさに神様が実体を身にまとう願いが成就するのです。そして、彼らが真なる夫婦として完成することは、まさに神様の絶対的な愛の理想の完成を意味します。
次に、アダムとエバが善なる子女をもって真の父母になることは、まさに神様が永存の父母の位を実体的に確定し、また神様が人間の血統を通して子々孫々を繁栄なさることによって、天上天国の市民を無限に置かれたかった理想を成就なさろうとされたのです。
ところが、人間始祖アダムとエバは堕落してしまいました。エデンから追われるとき、彼らは子女を抱えていませんでした。神様が追い出したアダムとエバをエデンの外まで訪ねてきて祝福し、結婚式をしてあげられたはずは絶対にありません。全人類は神様の愛と関係なく繁殖した、追い出された先祖の後孫です。
満場の内外貴賓の皆様!
人類の堕落が木の実を取って食べた結果でありうるでしょうか。アダムとエバの堕落は神様の真の愛の理想に背いた不倫の犯罪です。守るべき戒めが必要だった堕落前のアダムとエバは、未完成段階、すなわち成長期間で堕落しました。蛇で表示された天使長の誘いを受け、エバが霊的に堕落し、そのエバがアダムを誘って(時ならぬ時に善悪の実を取って食べる)肉的な堕落をしてしまったのです。本然の園で神様と対話しながら、楽しくはしゃぎ回って暮らしていたアダムとエバが、死ぬことを顧みないでまで犯しうる可能性のある犯罪は、間違った愛の犯罪しかないのです。
人類の先祖の初愛の結合は、神様自身の愛の完成でもあったので、当然、神様もアダムとエバも宇宙万象も、歴史を通して歓喜と祝福の中に酔う幸福な宴(うたげ)の連続でなければなりません。神様の愛と生命と血統が人間の中で出発をなしながら定着する幸福な儀式でなければなりません。ところが、彼らは下半身を覆い、木のうしろに隠れて、不安に震えました。天道に逆らう偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の根源をつくった不倫の関係を結んだからです。
堕落したアダムとエバの後孫である全人類は、子々孫々、生まれる時から原罪があるようになります。人類が個体の中に心と体の衝突を矛盾として感じるのも堕落に根源があり、愛の秩序が紊乱(びんらん)した社会の中で、本心が願わない生を生きていくのも、すべてここに由来しました。
愛の理想を中心として見るとき、動植物の世界では、その愛の関係がすべて繁殖を前提にして初めて成されます。しかし、人間だけはその例外です。人間は夫婦の愛の関係に自由を享受します。これが万物の霊長たる特権です。神様は息子・娘である人間が無限なる愛の喜びをもつように祝福しました。神様が許諾した真なる自由は、責任性を前提とします。
もし、責任性なしに個々人が愛の自由だけ主張し、実践するなら、どれほど大きな混乱と破局が来るでしょうか。至高なる愛の理想を成した人間の完成は、愛に対する責任性をもつときに可能なのです。
その責任性は次の三つとして考えることができます。第一に、人間は愛の自由を下さった神様に感謝しながら、自己修練、自己管理で自由な真の愛の主体になる責任です。人において愛の責任性は法や耳目ゆえに守られるものではなく、神様との生命的縦的関係の中で自我主管、自己決断で守られるのです。
第二に、相対に対する責任性です。人間は本性的に自らの相対の自分に対する愛が分けられることを願いません。夫婦間の横的な愛の関係は、父母と子供の間の縦的な愛の関係と異なり、分けられればもはやその完全性が破壊されます。これは夫婦間に絶対的な愛の一体を成すようになっている創造原理ゆえです。人は絶対に自分の相対のために生きるべき愛の責任性があります。
第三に、子女に対する愛の責任性です。子女たちの誇りと幸福の基地は父母の愛です。子女たちは真の愛で和合一体化した父母を通して生命が生まれ、そのような愛の中で養育されることを願います。父母の子女に対する最も貴い責任は、外的な養育だけではなく、彼らの霊性を完全にしてあげる真の愛の生命的な要素を提供することです。家庭が貴い理由はこのためです。生活的な経験を通して体得する真なる子供の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情は真なる家庭以外、そのどこでも得ることはできません。
アダムとエバが神様を中心とした真の愛の夫婦を成せば、神様は理想となさったとおりに、ご自身の実体であるアダムの体の中にいましたまいながらエバを愛されるようになるのです。さらにはアダムとエバは神様の実体をまとった真の父母となって、善なる愛、善なる生命、善なる血統の出発になったことでしょう。
ところが、堕落によってアダムとエバはサタンの実体となって、悪なる夫婦、悪なる父母、悪なる先祖となってしまいました。彼らの結合は悪なる愛と悪なる生命と悪なる血統の根となってしまったのです。人類はすべてこの根に根源をおいたので、生まれるときからすべてが、神様の怨讐であり姦夫であるサタンの後孫になり、悪なる父母の血統を受け継ぐようになってしまったのです。
親愛なる紳士淑女の皆様!
人類の先祖の堕落で真の愛の理想が崩れたとき、神様の苦痛がどれほど大きかったでしょうか。神様の子女になるべき人間たちが、本来の父母であるご自身が分からず、むしろサタンに仕えるのに、神様は救援歴史をしてこられたのです。絶対的な神様の創造理想も絶対的であるので、悲しい救援歴史をなさるしかありませんでした。神様の救援摂理は、失った真の愛の創造目的を再び回復する復帰摂理です。ですから、救援摂理は再創造摂理でもあります。
このような点で、復帰摂理の根本はどうすれば創造理想を完成する人間の種、本然の赤ん坊の種を見いだせるかにあるようになります。神様が一番嫌う姦夫であるサタンの偽りの愛から由来した生命と血統を清算しなければなりません。神様の真の愛と生命と血統と一体になった救世主、真の父母をどのようにして生まれさせるかということです。
人間の先祖が自分の責任分担を完遂できず、不倫なる血統関係を結んでサタンの主管を受けるようになった……
過去記事より: