キリストを悪用するサンクチュアリ教(ファンクラブ氏)の巨悪と詐欺犯罪ーー異端「中村仁史教」も在りです!


1月23日付ファンクラブ氏(本部公認サンクチュアリ教会『三代王権天一聖殿』・二代王より聖霊を賜った聖霊教会)の記事は以下です。サンクチュアリ教会内で文・韓総裁夫妻が教えておられた「神様=天の父母様」を見失っての教義論戦が展開されています。
自称ルポライターtomy4509の立場からは「●サンクチュアリは有害な「時間の無駄」」でしかなく、
サンクチュアリ教会の荷台王・文亨進牧師にすがってみたところでその論戦を収拾することなど不可能です。
文・韓総裁夫妻の教えは「神主義(ゴディズム)」、「真の父母主義」、「頭翼思想」、いずれも意味するところは同じなのですが、こんにちでは「真の父母論」に立ち返らなければ決して解決することなどできません。
2012年1月19日のお父様の〝叱責〟は、2013年天暦1月13日に予定されていた「三度目の聖婚式」(神様の結婚式)を、お父様の願いと一致せずに約1年早めて行おうとした子女たち
(※文亨進、文國進)の問題でした。お父様はこの子女たちの問題を収拾され、「お母様が前に立つようになれば、全部(お母様に)従って、お母様がするとおりについていけば簡単なのです。……お母様に対する心配はする必要がないのです」と語っておられます。家庭連合を批判する集団が言うように、もし、お母様が「ルーシェルよりももっと恐ろしい存在」であるとするなら、「お母様が前に立つようになれば、全部(お母様に)従って、お母様がするとおりについていけば簡単なのです。……お母様に対する心配はする必要がない」と宣言されるはずがありません。この事実から見ても、その集団の批判は誤ったものに過ぎないのです。
さて、今回の自称ルポライターtomy4509記事の意図するところは、このサンクチュアリ内の教義論戦に異端・「中村仁史教」を加えては、その論戦の波紋を広げてみようとするものです。とはいっても異端・「中村教」については諸星くると氏(菅井氏)記事(以下)にてそれを書いており、中村氏は原理講論・キリスト論「聖霊=女性神」を説いたもので、荷台王の語られる「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストとは異なる教義を発信していました。
以下に一部引用:
日本サンクチュアリ協会では翻訳と教育を担当している中村氏が、韓国の原理講論に聖霊と聖神という表現があることから、聖神をエバの神性、女性神と解釈していますから、多くの食口が多大な影響を受けています。
多くの聖殿食口が、二代王様の語られる「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストを信じるとは言っても、信じる事と聖霊を迎えることは違います。
自称ルポライターtomy4509の過去記事「日本語聖書は「聖霊」と「御霊」を分けているが韓国語はごった煮状態! | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ」(2019.12.05)もまた、菅井氏(別PN:シムソン氏)が取り上げていた中村氏記事を扱ったものがあり、時間があれば参照記事として挙げておきます。
さて、ファンクラブ氏記事からも様々な疑問点、矛盾点を発見することができました。その一つが以下であり、
菅井氏1月15日の記事からです。
菅井氏:中村氏の解釈では、キリストとしてのイエス様と真のお父様は、神様の構想において生命を与えられた事になりますから、アルファとオメガの永遠の存在ではなくなります。https://kuruto.muragon.com/entry/318.html
中村氏は、統一思想の「創造前の、神様の本性相の中に存在する生命力ある存在(ロゴス)」の記述、これは神様の本性相に創造前から存在しておられるイエス様、御父様のことであると解明されました。
これは、拙稿「夜の神様の誕生」で、イエス様、御父様は神様の本性相に実存しておられたとする神学と基本一致します。
この中の「中村氏は、統一思想の「創造前の、神様の本性相の中に存在する生命力ある存在(ロゴス)」の記述」ですが、中村氏は統一思想の具体的にどの部分を指してのものかがはっきりしません。
実際に中村氏のブログ記事を検索してみましたが「生命力ある存在」のヒットはなく、「ロゴス」で検索したその一つが以下でした。
◆「「統一思想」から見た神による創造の二段階過程Ⅰ-キリストは創造前から存在するとは? | 統一原理マスタークラブ」
諸星くると氏もファンクラブ氏もこの中村氏記事の統一思想の【ロゴス「構想」】を取り上げたものだと思います。
AIに中村氏記事の要約をお願いしたのですが、返ってきた回答は以下でした。
アクセス先のページ内容を取得しようとしましたが、技術的に本文データが取得できませんでした。そのため、URLの内容を直接読むことができませんでした。
ただし、統一原理における「前ロゴス(前構想)」と「ロゴス(構想)」の違いについては一般的な教義理解から要約できます。ページ内容と完全一致ではありませんが、概念としては以下のように整理できます。
🔍 「前ロゴス(前構想)」と「ロゴス(構想)」の違い(統一原理の一般的理解)
🌱 1. 前ロゴス(前構想)
- 神の内的な段階
神の心情・目的・理想が、まだ具体的な形を持たず「内的必然性」として存在する状態。 - 本性相の内部での動き
神の知・情・意が相互作用し、創造の方向性や原理が“萌芽的”に形成される。 - まだ具体的な設計図ではない
いわば「神の内的な意図・理念の胎動」。
例えるなら
「家を建てたい」という思いが心の中で芽生え、どんな家にしたいか漠然とイメージしている段階。
🌿 2. ロゴス(構想)
- 前ロゴスが具体化した段階
神の内的理念が、明確な“原理”や“法則”として体系化される。 - 本性相と形状相の中和的主体として成立
ここで初めて「創造の設計図」としてのロゴスが成立する。 - 創造の直接的な原因となる
宇宙・生命・人間を創造するための具体的な秩序・法則・数理がここで確立される。
例えるなら
家の設計図が完成し、建築可能な具体的プランになった段階。
🌟 3. 両者の関係(まとめ)
| 段階 | 内容 | 神の内部での位置 | 例え |
|---|---|---|---|
| 前ロゴス(前構想) | 神の内的理念・目的の萌芽 | 本性相内部の動き | 家を建てたいという漠然とした思い |
| ロゴス(構想) | 具体的な創造原理・法則 | 本性相+形状相の中和的主体 | 完成した設計図 |
もし可能であれば、ページの該当部分のテキストを貼っていただければ、より正確に要約できます。
ーーーーー<以上がAIの回答
AIでは「統一原理での一般的理解」となっていましたが、「統一思想」でも当てはまるものです。つまりは、「生命力ある存在(ロゴス)」といっても、
「前ロゴス(前構想)」も「ロゴス(構想)」も【構想】の領域を超えたものではありませんでした。
さらには、中村氏記事の〈3)「生きている鋳型」としてのロゴス〉『統一思想要綱』P.767から注釈
ここで「生命をもつ鋳型性観念」、「生きている鋳型」の意味を具体的に説明する。鋳型性観念は鋳型または模型となる観念であるが、それが生きているとは、どういうことであろうか。観念は映像であるから、生きている観念とは、とりあえず映画のスクリーンに現れるような、動いている映像と見てもよいであろう。しかし映画の映像は、実際に生きている映像ではなくて、ただフィルム上の静的映像が映写機を通じてスクリーンに映る時に現れる仮の運動にすぎないのである。しかしここでいう鋳型性観念は真の生命力をもっているために、文字どおり生きているのである。これに関する適当な比喩はないが、若干似た例を挙げてみる。
夢の中で、今まで一度も見たことのない人に会って、その翌日、実際に全く同じ人に会ったと告白する人が時々いる。そのとき夢の中の人物と実際の人物が同じ人であったとすれば、夢の中の人物の映像は「生きている鋳型性観念」に相当し、実際の人物はその鋳型性観念に質料が満たされて現れた被造物としての人間に相当すると見ることができよう。(『統一思想要綱』p767)
を上げながら次の『統一思想要綱』の引用を上げていました。
ロゴスは生きた構想であり、活力を帯びた観念にすぎない。それは動く映像のようなものであり、夢の中で会うようなものである。人間や万物がロゴスの二性性相に似ているということは、そのような生きた映像に似ていることを意味する。夢の中の人間や万物は物質的な体をもっていないが、その他の面では現実の人間や万物と似ている。それが物質的な体まで備えた存在になるためには、神の二性性相に似なければならない。すなわち神の本性相と本形状に似なければならないのである。
それでは、いかにすれば神の本性相と本形状に似るようになるのであろうか。それは外的授受作用によって、本形状である質料的要素(前エネルギー)が本性相である”生きた鋳型”の緻密な空間の中へ浸透することによって、似るようになるのである。そのような授受作用を通じて、動く映像が物質的な体を備えるようになり、現実的な実体となるのである。そしてそのとき被造物は、神の二性性相に似た被造物となるのである。(『統一思想要綱』p133)
ここでは「ロゴスは生きた構想」であり「生きた鋳型」だと要綱は書いていました。
鋳物についてご存じの方であれば、鋳型に溶かした鉄などを流し込んで冷ませば鋳型とは反対のもの(実体)が形成されることは理解できるでしょう。
鋳型は上枠と下枠の上下を組み合わせてのものであり、二性性相のロゴス(構想、鋳型)から心と体(個性完成)、夫婦・父母(家庭完成)とかいった理想完成が成されるということです。
創世記二章9節も「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きた者となった。」であり、鋳型に命の息を注入されたとの説明がつきます。
第一アダム、第二アダム(イエス様)、第三アダム(再臨主)という言葉を見ても最初から神様と一緒にいた実体ではなく、神様と一緒にあったロゴス(構想、鋳型)に似せて造られた存在だったとなり、ファンクラブ氏が言うように、最初から「キリストとしてのイエス様と真のお父様」が存在したということ自体が「統一思想(統一原理)」にそぐわないものだということになり、諸星くると氏のそれに一理あり、は自称ルポライターtomy4509からの結論です。
