イサクさん、「愛勝日」に日米の違い?
イサクさんは日本において、また、米国にあってどなたからの話をされておられますか?
真の父母様が「愛勝日」を宣布されたのは1984年1月3日、文興進様聖和(昇和)の翌日でした。季刊誌『祝福』(40号、1984年春号)に宣布されたときのお父様のみ言が掲載されていました。
このように、
真の父母様の「愛勝日」宣布に日米の違いはありません。
以下一部引用:
”興進二ムが亡くなられた経緯と愛勝日の意義” を最初に聞いたのは
日本ででした。
事故の経緯については・・
興進二ムは被害者である。
興進二ムが運転していた車に、反対車線を走っていた大型のトラックが
センターラインを越えて突っ込んできた。
興進二ムは瞬時にブレーキは間に合わないと判断し、
同乗していた二人の二世を救う為に自分から
運転手側をトラックに激突させた。
自身を犠牲にすることで、興進二ムは二人の生命を救った。
愛勝日については・・
興進二ムは次男。二番目ということは
イエス様の立場になるので興進二ムは
生まれた時から犠牲的位置に立たされやすい立場だった。
それで生まれた時も仮死状態で産まれたのである。
イエス様はゴルゴダの丘の時に十字架によって
三人の生命が絶たれたが、興進二ムは自身の生命を犠牲にすることで
二人の生命を救ったのでイエス様を越えた基準に到達した。
”興進二ムは自身の死を乗り越えて二人を救った。
愛が死を越えたのである。”
故に「愛勝日」を宣言することができたのである。
でした。
それから数年後、私はアメリカに派遣されました。
そしてアメリカ人から交通事故の真相を聞かされました。
(省略)
イサクさん、米国で聞いた話を出しては果たして何が言いたいのですか?
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