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イサクさん、神様までも「無能な神に?!」

イサクさん、家庭連合批判のための批判記事更新お疲れ様です。
さて、今回記事ですが原理講論の記述、神様までも「無能の神」にしているようです。


以下引用:


摂理に失敗したものは・・捨てられてきた・・聖書の歴史・・

アダム家庭を立てることが出来ずに・・次の摂理へ・・と移行しながら・・

連面と続いてきた人類歴史。


  再臨主が失敗すれば・・蕩減摂理は3倍の6000年掛かる・・

  と、言われていましたが・・


それでも・・仕方がないでしょう。


中心人物が・・失敗すれば・・次へと・・摂理が移っていくのですから。


「神様は絶対者でありながら……三数的存在」ですので、摂理の延長も三段階までというのが原理講論の記述です。「アブラハムからイサク、ヤコブ」がそれであり、「アダム、イエス様、再臨主」と三段階です。
ところが、その延長の6000年先ともなれば気の遠くなるような話ですが、誰がそのようなことを語っていたでしょうか? 
イサクさん、あなたです。


これに関しては原理講論(モーセとイエスを中心とする復帰摂理)の記述を今一度確認してみましょう。


(2) 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程


第三次世界的カナン復帰路程が、第三次民族的カナン復帰路程と同じく、実体路程をもって出発することができず、霊的路程として出発するようになった理由については、既に前節で述べたとおりである。「メシヤのための霊的な基台」の上で、霊的メシヤとしておられるイエスを信じ、彼に従うことをもって出発した第三次世界的カナン復帰の霊的摂理は、二〇〇〇年の悠久なる歴史路程を経て、今日、世界的にその霊的版図を広めるようになった。


それゆえ、あたかもモーセの霊的カナン復帰路程を、ヨシュアが代わって実体路程として歩み、民族的カナン復帰を完遂したのと同じく、イエスは、今までの霊的カナン復帰路程を、再臨されてから実体路程として歩まれ、世界的カナン復帰を完遂されることによって、地上天国をつくらなければならないのである。このように再臨主は、初臨のときに実体をもって成就されようとした地上天国を、そのごとくにつくらなければならないので、あくまでも実体の人間として、地上に生まれなければならないのである(後編第六章第二節(二)参照)。


しかし、再臨主は、初臨のときの復帰摂理路程を蕩減復帰しなければならないので、あたかも彼の初臨のとき、ユダヤ民族の不信によって、霊的復帰路程の苦難の路程を歩まれたように、再臨のときにおいても、もし第二イスラエルであるキリスト教信徒たちが不信に陥るならば、その霊的な苦難の路程を、再び実体をもって蕩減復帰されなければならないのである。イエスが「しかし、彼(イエス)はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」(ルカ一七・25)と言われた理由は、とりもなおさず、ここにあるのである。


それゆえに、イエスは初臨のときに、彼のために召命された第一イスラエル選民を捨てられ、キリスト教信徒たちを第二イスラエルとして立て、新しい霊的な摂理路程を歩むほかはなかったのと同様に、再臨のときにも、キリスト教信徒たちが不信に陥るならば、彼らを捨てて新しく第三イスラエルを立て、実体的な摂理路程を成就していくほかはない。さらにまた、イエスは再臨のときも初臨のときと同じく、彼の道を直くするために洗礼ヨハネの使命(ヨハネ一・23)を担ってくるはずの先駆者たちが、その使命を全うし得ないときには、再臨主御自身が、再び洗礼ヨハネの立場で、第三次世界的カナン復帰摂理のための「信仰基台」を実体的に造成しなければならないので、苦難の道を歩まれなければならないようになるのである。


しかし、再臨主はいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、初臨のときのように、復帰摂理の目的を完遂できないで、亡くなられるということはない。その理由は、神が人類の真の父母を立てることによって(前編第七章第四節(一)①)、創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨のときには、必ず、その摂理が成就されるようになっているからであり、その上、後編第四章第七節に論述されているように、イエス以後二〇〇〇年間の霊的な復帰摂理によって、彼が働き得る社会を造成するために、民主主義時代をつくっておかれたからである。イエスは、初臨のときには、ユダヤ教の反逆者であると見なされて亡くなられたのであったが、彼が再臨なさる民主主義社会においては、たとえ、彼が異端者として追われることがあるとしても、それによって死の立場にまで追いこまれるようなことはないのである。


それゆえに、再臨主がいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、彼が立てられる実体的な「信仰基台」の上で、彼を絶対的に信じ、彼に従い、彼に侍る信徒たちが集まって、第三次世界的カナン復帰の実体路程のための「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、「実体基台」を造成することによって「メシヤのための実体的な基台」をつくるようになることは確かである。



イサクさんへ:


文鮮明総裁夫妻が失敗者だという論拠が提示されていません。
文総裁は聖和されましたが、霊界にあっても摂理は進行されていますし、地上にあっても韓鶴子総裁が「中断なき前進」でもって摂理を継続しておられます。
もしもそうであるというのであれば、何を根拠とされてのものでしょうか? はっきりさせてくださるようお願いします。


何ら根拠無しの批判は見苦しいだけです。