peace2のブログ

韓国ニュースを中心に紹介しています。

2012 - Dr. Moon’s Life and Works (Japanese)

2012 - Dr. Moon’s Life and Works (Japanese)



2012 - Dr. Moon's Life and Works (Japanese) from Tongil on Vimeo.


Video about True Mother's Life - "Peace King - True Parents, Dr. Hak Ja Han Moon's Life and Works"


한학자여사 생애와 업적
『평화의 왕, 참부모』번역 대본 2012.1.5
---파란색 부분은 인터뷰 또는 현장음입니다----
현장음도 녹음 합니다.
----------------------------------------------------------------
VIDEO AUDIO
------------------------------------------------------------------


日が昇る東方の国、天が選んだ選民、
第3イスラエルが発する希望の光.
地を代表した花嫁が生まれた.


人類歴史 6千年を経て、ついに迎えた、新しい子羊の花嫁.
天の秘密を解き明かした、
待ちわびた、一人の男性と成婚し、
堕落した人類が待望してきたその名は、、、'真の-父-母'


文鮮明先生とともに、人類の行くべき道を開き、
神様の祖国、天一国の願いを成す、真の母、ハン・ハクジャ女史
天の摂理を担って来た、その犠牲の生涯は、人類に絶対平和のメッセージを伝えている.


-------------------------------------------------------------
TITLE - ハン・ハクジャ女史の生涯と業績/ 平和の王、真の父母
-------------------------------------------------------------
文鮮明先生の伴侶として、
すべての女性の代表として、
すべての家庭の模範となって、
生涯を天一国創建のために、祈祷と実践を続けて来た、ハン・ハクジャ女史.


ハン女史は今日も、神様の真の愛をもって
平和の王、真の父母の道を歩んでいく。
------------------------------------------------------------------------
1. 創られしこの地に我生まれ


ハン女史が生まれた1940年代は、韓民族にとって非常に厳しい時期だった。
2千年前、イスラエルのエルサレムでは、ローマ植民地下で、メシアを迎える神霊運動が、洗礼ヨハネを中心として行われたように、韓半島でもそのようであった。


韓半島での神霊歴史は、北朝鮮で活発だった。北朝鮮の東側であるウォンサンで、男性を中心とした摂理が。
西側では、チョルサンで女性を中心としての摂理が行われていた。
そして、平壌はエデンの宮、東方のエルサレムと呼ばれ
神霊運動が復興していた。


ハン・ハクジャ女史の母、ホン・スネ女史は、教師だったハン・スンウン氏と結婚する.
主礼は、当時、神霊運動を導いてきた、イ・ホビン牧師だった。
二人はとても篤実な信仰生活を送っていた。
二人の間に、結婚10年目にして、赤ちゃんが生まれる。
イ・ホビン牧師は、赤ちゃん誕生の前、ホン女史に言った.


夫のハン・スンウン氏も、松林で鶴のつがいがたわむれる夢を見た.
昔から、韓民族に平和と幸運をもたらすという鶴二羽が、あまりにも美しく舞う夢だった.
この夢を見たハン・スンウン氏は、娘の名前をハン・ハク・ジャと名づけた.


赤ちゃん誕生の前後、ホン・スネ女子は、
生まれてくる子の運命と、神様の役事を啓示通して知ることとなる.


ホン女史は、出産後に、なんとも 神秘的な夢を見た。


それは、日帝時代、大東亜戦争終盤、日本は、軍需物資を供給し、武器を生産するため、穀物や金属という金属を全て奪っていった。
すると、夢の中で、日本に奪われていった物たちが、玄界灘を渡り、家の前に積み上げられる、そのような夢だった。
そして、ホン女史は、夢から覚めた。


統一家で、日本の食口が様々な面から、アダム国家である、韓国を支援している。
この時すでに、女性の代表である真のお母様と、エバ国家の代表である日本の使命を、
見せられていたのかも知れない。


赤ちゃんが生まれ、初めてワカメ汁を食べた日、
今度は凶悪なサタンが現れる身の毛もよだつ夢をみた。


今、この子を放って置けば危ない。今すぐ消してしまわねば。
でなければ、この俺が死ぬのだ。"


"サタンよ、立ち去れ。
待ちに待って授かった大切なこの子に、なぜお前が手をかけようとするのか!"


びっしょり汗をかき、飛び起きた女史をなだめる母


あ~(ため息調)体が弱わってるんだね."


"なぜ、サタンが、この子の命を狙うのでしょうか? お母さん"


我が家門に天女、「天の娘」を送るという、チョ・ハンジュン弥勒の伝説があった。
あなたの夢でサタンがそんなことを言うとは!その子の事を行ってるんじゃないのかい?


サタンが命を狙うのをみると・・・・・(決心した感じで) これから精誠を尽くして、しっかり育てます。
お母さん!


"そうだね。そうしよう・・・・・・“


その後、「この子は、主の娘なので、しっかり養育するように」という天の声も聞き、
娘が、大きな使命がある事を直感として感じていた。


ハン女史は、人生で最大の影響を、母、ホン・スネ女史から受けた.
1914年、文鮮明先生の同郷の、平安北道・定州で生まれたホン・スネ女史.


ホン・スネ女史は、安州-華川-江界をつなぐ街道で、百日間の路傍伝道をするほど、
信仰が篤かった.


「主は、雲に乗ってくるのではなく、体を持って再臨する」


ホン女史は、聖書の文字に捕らわれず、神霊の掲示と真理のみ言を声を大にして叫んだ。
ホン女史とその母は、2代に渡り、神霊教団で、再臨準備信仰に誠心を傾けた。


8月15日解放!
この時から、ハン女史の祖母は、「あなたの父は、神」であると、孫に教育した。
ホン女史は、分別され、清い生活をし、ただ主に出会うために精誠を立て、
幼い娘を育てていった。


「天の新婦となるお方」
6歳の娘は、神霊教団の驚くべき祝福をうける。
聖主教に続き、再臨主を迎える準備をしている、
腹中教のホ・ホビン氏の母が祝祷をしてくれたのだ。


当時、ホ・ホビン氏は、文鮮明先生と平壌の大同保安所に収監中だった。
この時から、神霊教団との因縁が始まりつつあったのだ。


北朝鮮のアンジュにある聖主教団に、幼いお母様をお連れし、
腹中教のホ・ホビン氏の祝祷を受けられました。
そのような三代の女性の精誠ゆえに、お母様はお父様に出会われたのです。


ハン女史は、肉身再臨信仰の最高清水を完全に伝授され、
その精誠の脈を引き継ぐ結実体となられたのだ。


1948年、ハン女史の祖母、チョウ・ウォンモ女史は、息子である、ホン・スンジョン氏に会いに
家族と共に南へと下った。


ホン氏は、早稲田大学を卒業し、故郷に戻ることなく、
ソウル陸軍本部 医療将校として勤務していた。
北朝鮮の共産政権と左翼知識人の宣戦とは違い、腐敗した姿に失望し、
故郷であるアンジュには帰らなかったのだ。


避難の道は、容易ではなかった。
38度線付近で、人民軍につかまったりもした.


空き家の物置に閉じこめられた一行!
険悪な雰囲気、、


この危機を乗り越えられるのか?


食べ物を渡す可愛い少女の無邪気さは、人民軍の心をとかした.


無事に釈放された一行は、北に送還されたが、
案内をうけ、再度、南下する.


あちこちで人民軍と国軍が対峙している中、
一刻も早く、南に向かわねばならなかった.


恐ろしさを紛らわすため、幼い娘が歌を歌う


人の気配を感じ、銃を打とうとした兵士は、子供の歌声を聞き、射撃しなかった。
皆が、神様がともにいらっしゃることに感謝した.


南下して2年後、朝鮮戦争が勃発した.
6月28日早朝3時、陸軍本部に居た、叔父から、ハンガン橋の爆破に対する情報を予め知り、
非難を急いだ。
軍用のジープで、橋を無事に渡るとすぐに、橋が爆破された。
後ろから付いてきた車や行列は、死の谷間へと落ちていった。
天が全てを守ってくださった。
ハン女史は、戦闘で大変な時期だったにもかかわらず、天の保護により
大きな事故もなく、無事に過ごすことができたと回想する。



2. 我は行く 父の歩まれた道



大邱、釜山、済州島!
戦争後、ホン・スネ女史は、転々としながらも常に、主を思い、探さねばならないという、信念だけだった。


大邱で、余裕のない避難生活の中、生計を立てるために店を営むホン女史の前に、一人の僧侶が通りかかり、娘の未来を祝福した。


10人の息子にも変えることのできない娘です。大事に育ててください。天地の神聖なお方です。
大母:はい・・主に捧げられる事を願っています。


そして、すぐ横に居る娘をみて、予言のようにもう一度、祈る。


僧侶:娘さんは、十七歳で結婚するでしょう。相手は、年の差が大きいでしょう。
そして、(陸海空、すなわち、)天と地、海を治める大富豪として生活するようになるでしょう。


この親子は、こんな祈りを心に抱き、済州島へと下る。
北に居た、聖主教団のキム・ソンド教主の息子である、ジョン・ピョンファ氏に会う為だった。
彼は、イエス様の苦しい心情を体恤するために、いばらの冠をかぶり、十字架に釘打たれる苦痛を再現するほど篤実な信仰者であった。
ここで、ホン女史は、畑を耕し、奉仕をし、質素な生活をしながら娘の信仰を育てていった。


三回も転校して小学校を卒業した、少女・ハンハクジャは、紆余曲折のあげく、
ソンジョン女子中学校に入学する.


ホン・スンジョン会長/お母様の叔父
その当時お母様(韓女史)に対する印象はまず
女の子ですが男の子異常に落ち着いていました


お話が上手でした
それから頭が驚くほど良かったです


母方のおじの誘いで、カトリック財団の聖ヨセフ看護学校に入学する.
現在のカトリック大・看護大学の前身である.


この学校には寮があり、修道女が寮長を務めており、規律も厳格だった.
韓国での困窮した生活の中でも、貞潔で世俗に染まらずに育った.
それは、母親、ホン・スネ女史がハクジャに、
「聖者・聖女伝」のような宗教本を読ませ、純潔教育をほどこしたからでもある.


そして、1955年11月頃、ホン・スネ女史は、
聖主教団のチョン・ソクチョン長老から、数十年探し求めてきた主の存在を知ることになる.
その方は、当時ソウル教会と呼ばれる統一教会本部に、居るというのだ。
すぐにソウルに向かい、会いに行ったその方は、まさに文鮮明先生だった。
2番目の夢の啓示でみた、まさにその姿。夢の中でも何度も描いた再臨主の姿だった。
ホン女史にとって、想像できないほどの喜びだった。


その翌年。
チュンチョンのボンウィ小学校を卒業した1956年の春。
14歳になった少女は、文鮮明先生に初めて出会う。
3代に渡って、再臨信仰の精誠の花が咲いた瞬間だった。


慕い待ちこがれたその方、再臨のメシアと出会い、胸が張り裂けそうだった。
少女が初めてお会いした先生は、亡き祖父とあまりにも印象が似ていて、
初対面とは全く思えなかった.


先生が女史の名前を聞くなり、「あぁ! 大韓民国にハン・ハクジャが生まれたか」と、
三回も言ったというから、おそらく、期が熟すその時を待ちながら発した、独白(独り言)ではなかっただろうか?


「その日が近くなったから祈りなさい」と言う啓示を受け、
無我の境地で、熱心に祈祷した、少女、ハン・ハクジャ.
高潔な山に咲く、一輪の白ゆりのようだった.


俗世から、聖別された厳格な指導と絶対信仰をつないでいた少女は、花のような年ごろに、
文鮮明先生の花嫁として選ばれた. その年、17歳.


1960年、旧暦3月1日の夜明け4時、キム・ヨンフィ、キム・ウォンピル、
ユ・ヒョウォンなど、三弟子を立てた基盤の上で、婚約式を行う.


天から沢山の鶴の群れが飛んできて手で追い払っても、また飛んできて、追い払っても
また飛んできて、先生を包んだ。


宇宙の母は、韓氏の名字を持ったお方である
하늘이 준비해주신 것을 느꼈다고 말한다.


霊通をしていた、チ・スンド氏とソン・ドウク 長老を初めとして、多くの人たちが、ハン女史と文鮮明先生の聖婚の啓示を受けていた。
花嫁候補は、20歳前でなくてはならなかった。
それは、エバが16歳ごろ堕落し、3年間を経る、19歳を越えてはいけないという、
原理的な解釈であった。
ハン女史は、当時、同年代よりも精神的にも身体的にも成熟していたほうで、
全ての面で天が準備した事を感じたと語る。


真の母としての使命を担い生まれてきた、ハン・ハクジャ女史、
韓国において、「ハン」という苗字は特別だ.
古代史の学者は、古朝鮮以前に、すでに広大な大陸に、韓氏の支配する国があり、
これが現在の「テハン・ミングク」という国号でもあり、
さらに我が民族の、「ハン」の精神につながっていると言う.


# キムジンミョンインタビュー


「ハン」という国は、古朝鮮よりもずっと前に、東洋の歴史に登場しました。
「ハン」は、中国で最も古い詩篇とされる「詩経(しきょう)」に出ています。
この韓候(ハンフ)が、韓民族の歴史に記録された、一番古い先祖です。
このすべての苗字の中で、ハン氏は中国のものより、ずっと前に生じた苗字で、
韓民族の「根」として、歴史に記録されているものなんです。



ハン氏家門は、韓国の国母を、最も多く輩出した家門として知られている.
高麗を開国した太祖・ワンゴンの母、ウィスク王后をはじめ、
朝鮮王室の王后だけも、十三名にのぼる.


------------------------------------------------------------------------
3. 限りない恵み、我に与わる


1960年4月11日、旧暦3月16日、午前10時.
全国の教会から選ばれた 7百名あまりの家族が集まる中、
チョンパ洞の本部教会で、歴史的な聖婚式が挙行された.


この成婚式でよって、真の父母様は、人類の始祖となり、
神様はアダムとエバの堕落で成せなかった、創造理想を実現できる出発点を持てるようになったんです. 人類はこの成婚式で、神様の息子・娘として復帰される、祝福の恵みを受けられるようになりました"



これは真の家庭を通じた、平和な世界の実現に向けた出発だった.
ホン・スネ女史は成婚の喜びを、詩に歌った.


합창곡>>(ここは翻訳されたものを挿入します・・・)



しかし、新婦の前には、苦難の路程が待っていた.
3年間、新郎である先生と離れて暮らしながら、
先生が歩んで来た路程をふたたび通過し、勝利しなければならなかった.
絡み合う堕落の歴史を蕩減するために、娘の立場、妻の立場、母の立場を復帰する、
想像を絶する「いばらの道」だった.
しかしハン女史は、この期間を、信仰の力で乗り越えていく.



言葉には言い表せない苦労の中にも、子どもの誕生という喜びが共にあった.
神様が待ち望んだ真の家庭が、地上に顕現したのだ.
真の父母と真の家庭は、神様の創造理想の夢であり、人類の願いである.
真の母の腹中を通じて重生する、恵みの道が開かれたのだ.


遂に 7年路程が完全に終結した 1968年1月1日、元旦の夜明け3時に、
'真の神の日'が宣布される.


古今東西を問わず、最も美しい名前 'お母さん'。
美しい花のような時代を捨て、少女からすぐに母となった、ハン・ハクジャ女史.


寒い冬、冷たい部屋での出産がたたって産後の病いにかかり、
命が危かったことも多かった.
しかし、
そのころ、新婦を韓国に残し、 真理と福音を全世界に伝えていた先生は、
哀切なる心情を、手紙で伝えるしかなかった.



"すべては、世の母の師表となるためと考えて下さり、
最後の心情の十字架を乗り越えて下さい.
女性の師表としての生涯を同情される、尊敬される「母」として、
歴史に功徳のもといをお立て下さい。
父親より母親のほうが尊いと言われる、生涯でなければなりません.
- 65年5月21日 ワシントンにて


大変な蕩減の路程だったが、先生の愛が、真の母の師表を立てる力になったと、
ハン・ハクジャ女史は回想する. しかし苦難の道は、これで終わりではなかった.


------------------------------------------------------------------------
4. 苦難と新しい生命


蕩減復帰の路程は、神のみぞ知る内容で、
誰も行ったことのない、前人未踏の道だった.
ゆえに、子羊の婚姻が可能だったのではなだろうか?
千年を待ち続けた鶴は、ついに天宙に向け、はばたき始める.
.
家庭よりは、民族と世界のための日々.
女史は、夫の内助をし、多くの行事と海外巡回にも同行する一方、教会の母として、
そして十四人の子どもの母として、休むことなく、多忙の日々を過ごす.


アメリカで世界宣教を指導していた先生の内助しつつ、
韓国に短期間帰国し、勝共講演巡回した1984年1月.
に召命された.
一緒に車に乗っていた友達を助けようと、自らを犠牲にした、残念な交通事故だった。


先生は、死亡の勢力に愛で勝利したこの日を、愛勝日とさだめ、
悲痛な心情を、真の愛で昇華させた.
我が子を失った母親の悲しみは、どんな悲しみとも比べることができなかった.
しかし女史は先生の指示で、犠牲の痛みを押し殺し、涙を隠さねばならなかった.


十四人の中で、天に捧げた五人の子どもたち.
天命とは言え、母親として堪えがたい苦痛に、
ハン女史は、打ち勝たねばならなかった.


胸をえぐるような痛みは、先生も同じだった. しかし、
'たとえ台風が来て大きく搖れても、真の愛の根を深く張るためにも、芽を出し大きく育つべき!'と、
先生は歯を食いしばり、突き進む.


神様にすべてを捧げた先生の心情を汲み、女史は壮絶な痛みにも耐えねばならなかった. 先に送った我が子を胸に秘め、統一教会員たちを愛する、
真の母としての道を行かなければならなかった.


毎日が、つらい瞬間の連続だった.
子どもたちもまた、学校や地域社会で受ける迫害に耐えなければならなかった.
神様の愛と先生への絶対的な信頼で乗り越える道、
しかし摂理の道は、あまりにも大きな苦痛を伴うものだった.


天意に沿い、一分一秒を惜しむ。先生とともに誰にも真似できない、
これ以上ない、救世の業績を成して来た一生. 真の母、、真の母!.
女性はか弱いが、母は強し.


人類の母として、歩まねばならない道、、。
女史は、さらに大きな献身で、先生とともに人類救援の道を歩んでいる.
神様が期待される、さらに大きな使命を謙虚に受け入れ、
祈祷によって乗り越えてきた歳月だった.


生涯苦楽をともにし、人類の女性リーダーとして、一筋の道を歩んで来た女史に、
先生は普段から、感謝の表現を惜しまない.
妻であり、生涯の同伴者である女史を、先生はこのように表現する.


1960年代中ば、先生と女史は、農村啓蒙運動と充実化を図りながら、
同時に世界的な基盤を作るため、日本とアメリカ、ヨーロッパなど、多くの国を訪問する.



そして 1972年、ともにアメリカに向かう.
国を越えて、世界中に、神様のメッセージを伝えるためだった.



真理に飢えた若者たちが、先生の前に波のように押し寄せる.
アメリカでは、韓国からの一人の宗教者が話題となり、蘇生の火が燃え上がり、
統一運動は、あっという間に広がって行った.


韓国から出発した統一教が、一大旋風を巻き起こすと、それにつれ迫害も大きくなった.
教会はもちろん、子どもたちも、人種差別と宗教差別の苦痛にさらされた.
先生は微動だにしなかったが、
付きまとうテロの脅威に、先生を案じる女史の思いは、常に不安で押し潰されそうだった.
.
統一運動の拡散を阻止しようとする権力を笠に着たアメリカ、
一部勢力からの激しい迫害が続いた.


とうとう先生は、1984年7月20日、ダンベリー刑務所に収監される.


収監による、統一運動における先生の空席は大きかったが、
女史の悲しみと苦痛は、誰よりも大きかった.



最大の危機の中で、すっくと立ち上がったハン・ハクジャ女史.
揺るぎない姿で、毎日、先生と面会し、指示を受けて救命運動を主導した.
統一家の母として、女史は、精神的支柱としての役割りも立派にこなした.
ここに、子どもたちも力を合せた.


涙が止まりませんでした. しかし、先生は私のために泣かずに、
私を刑務所に送ったアメリカのために、涙で祈りなさいとおっしゃいました.
全世界の数百万の統一教信者たちに指示したように、先生は私にも、
怒りと悲しみを克服して、この国を自由な国に産み変えるための、
力強い行動に変えなさいと言いました.


これによって、40年荒野路程の「最後の峠」を越える難しい時期に、
内的に母子協助の伝統を立てた.


アメリカは立ちあがり、支持勢力も増え、これは韓国と日本も大きく立ち上がった.


"アメリカは、私たちと血で結ばれた盟邦です.
血で結ばれた盟邦国として、何の罪もない者を、自国の憲法を破ってまで、
ムン牧師に一年半もの間、懲役を科したということは、
韓民族全体への侮辱であり、愚弄であると、私は思っています."


# 学位授与式
収監期間中、ハン・ハクジャ女史は、4つの大学から名誉博士号を受ける.
打たれて奪って来る、摂理の勝利を証明するものだった.


1985年8月20日.
先生は収監13ヶ月ぶりに釈放された.
アメリカの良心的なマスコミと宗教政治家たちの救命運動によって、
5ヶ月早く釈放されたのだ.


完全なる自由の勝利者.
先生は誰より、女史の志に感動する.
人類の真の母として、より大きな使命を願う神の摂理が、大きく進んだ瞬間だった.
------------------------------------------------------------------------
 5. すべてを捧げ、戦おう


試練は、より大きな、大志を抱かせる.
教会は、たくましさを増し、世界に向かう足どりは、より力強くなった.
1980年代中ば、ソ連を中心とした共産陣営の膨脹は、加速化し、
先生は命がけで、これを阻止するために、立ち上がった.


20世紀、冷戦の壁を壊し、無神論の拡散を阻んで、
バラバラになった人類を一つにするための勝共運動が、
ついにその実を結ぶ時が近付いたのだ.


先生と女史が、このように前だけを見て進軍できたのは、
常にそばで真心をつくす母、ホン・スネ女史がいてくれたからであった.
ホン・スネ女史が60歳になった 1974年から、アメリカで5年間生活した.
この時期は、共産勢力によるテロの脅威が迫っている、そんな時だった.
アメリカを覚醒させるための先生の集会は増え、ホン女史は、
そんな先生ご夫妻の安全のために心を碎き、天に向けて祈り続けた.


教会本部を移す時、アメリカに同行し、
真の子女様たちを真心で支え教育してくださった、ホン・スネ女史.


1989年11月3日.
ハン女史は、ホン・スネ女史を、その胸に抱き、母親の臨終を看取った.
一生を自分のために、影のように尽くしてくれた母親を送る悲しみは、
到底、言葉にできるものではなかった.
この日、空は、いつになく高く澄みきっていた.



享年76歳. 教会に入教して 34年.
忠心で身と心をすべて捧げ、神様と真の父母様のための路程を勝利し、
永遠なる神の国へと聖化したのだ.


北漢江がうねって流れる河畔に位置する、天主清平修練院.
ホン・スネ女史聖化から6年目の、95年1月から、再臨の役事が起っている.
ここではすでに、世界各国の家族たちが新しい復活の恵みを受けている.
生前には家族たちの信仰の模範となり、
聖化後には、統一家全体の、霊的復活のメッセンジャーの役割を果たしている.


勝共運動の最前線に立つ先生と女史は、1990年、モスクワでゴルバチョフに会い、
改革開放を促し、翌年、ピョンヤンを訪問する.


レーニン銅像を撤去し、金日成主席と決着をつける席.
当時、「人民大会・議事堂」で、主体思想を批判し、
神の御旨を強調する先生の演説は、死を賭したものだった.
すぐにでもピストルを抜ける姿勢の警護兵たちが、先生を凝視する、一触即発の状況. 先生と同席した女史の背中に冷や汗が流れた.
手に汗をにぎった.
勝共運動の道は、まさに命をかけた路程、死の脅威が、常に付きまとう道だった.
どうか、大事が起きないようにと、祈るしかなかった.


しかし、先生の生死をかけた演説内容を聞いた金日成主席は、
「本物の牧師が来た」と、むしろ先生を晩餐に招待した.
思いも寄らぬ展開に、皆が驚いた.
勝共運動と、最後の共産主義の両最高司令官が抱擁し、義兄弟となったこの会談で、
朝鮮半島に平和統一の門が開いた.
------------------------------------------------------------------------
6. 一つに集え


女性時代が幕を開けた.
1992年4月10日、先生と女史は、
"女性、母の力で、平和世界を建設しよう"というスローガンで、
世界平和女性連合を創設する.


降りしきる春雨の中に響くハン女史の声に、
集まった10万人あまり女性たちはその心を一つにし、
この新しい女性運動の火花は、一瞬のうちに世界に広がった.


女性連合創設を皮切りにハン女史は、
真の家庭を通じた平和世界の実現に、先頭に立つ!
このためハン女史は、一日一国ずつ、数千・数万里の強行軍を押して、語り続けた.


韓国、台湾、日本、アメリカの国会議事堂、国連本部、ロシアのクレムリン宮殿、
中国の人民大会堂、キリスト教とイスラムの聖地・中東地域と、ヨーロッパの多くの国、南米の高山地域とアフリカの奥地まで ...
アフリカの「死の病い・マラリア」も、神様を否定する共産圏も、、
女史を阻むことはできなかった.


わずか 3ヶ月の短い間に、地球の隅々まで飛び回り、世界の113の都市で、
女性大会を成功させたという事実は、まさに奇蹟としか言いようがない.


ハン女史の、真心のこもった苦労で、創立初年度から、
全世界的な組職と活動基盤を築くことができた、女性連合.
ハン女史は、'女性の母性愛で、真の愛の家庭を成し、
健全な社会、平和の世界を建設しよう'という、
女性連合の創設精神を具体的に実践するために活動している.


女性連合を中心に、1992年から95年まで、ハン女史は、人類を救う再臨のメシアは、
文鮮明先生であると明言する.



ハン女史を中心にした、世界平和女性連合は、
女性の人権を高め、真の家庭を基盤に、平和世界を実現しようという活動で、
全世界に変化の波を起こした.
世界に向けた平和のメッセージと人類愛の実践が一つになった活動、、
これらは、世界を感動させるに十分だった.


地球家族愛 1%運東で、緊急災害地域に、支援金と救援物資を支援し、
中東地域の貧しい家庭をはじめ、学業を続けられない世界中の家庭を支援するなど、
全世界で、地域の特性に合ったボランティアを展開している.


特に、1991年12月に、先生と故・金日成主席に会い、祖国統一の扉を開いて以来、
展開している北朝鮮愛1%運動は、北朝鮮の子供と女性に、実質的に役立っている.


また、未来統一国家の働き手となる子供や母親を対象にした、
統一キャンプと統一紀行など、韓民族の歴史的な統一への統一教育にも余念がない.



1995年5月に設立した、ソンハク奨学財団を通じて奨学事業を広げ、
未来の女性リーダー育成のための特別奨学生と、脱北者の学生など、
その恩恵の幅を、さらに広げている.


女史は、女性の人権抑圧が最もひどい中東に、特に関心が高い.
1997年5月、戦争の気配が鎮まらない中東に、和平と平和の温もりを伝え始めた
'中東女性リーダー平和会議'は、回を重ねるごとに、
イスラエルを含む、約20ヵ国あまりの中東地域の女性リーダーたちが参加し、
世界平和と女性の人権擁護の急先鋒となっている.


(女性声優)


一方、世界救護連盟の理事でもあるハン・ハクジャ女史は、
先生とともに、世界にメッセージを伝えながら、まさに母親の心で、
いつも行く先々で、直接救護の手を差し伸べた.
何の罪もなく、苦しむ子供達を援護し、世の中の痛みと傷を癒して行った.


台風の災害地域に、救護基金を伝達し、教育・医療など、
社会基盤施設が不足した途上国を支援し、多文化家庭への支援を惜しまないなど、
世界のあちこちで、真の愛を実践した.


女史の人類愛を実現する活動は、
世界外交の中心地、国連への招待という当然の結果をもたらした.
国連で女史は、「女性と真の家庭」に関し、演説した.
東洋の女性としては初めてだった.
この時、ハン女史の演説は、世界人の心に響き、ついに世界平和女性連合が、
国連の公式NGOとして認められる快挙を成し遂げ、以来、国連と緊密な関係を維持している.
------------------------------------------------------------------------
7. 復帰の心情- 世界巡回


1992年以降、女史が公式的に行った世界巡回講演は、千回以上.
それは、天の摂理であり、神の御業であった.


ハン女史のアメリカ国会講演は特別だった.
演説に感動したアメリカ政府は、女史が講演した7月8日を、'父母の日'に制定し、
毎年の記念日とした.


韓国の40大学とアメリカの100の大学で、'真の父母と成約時代'と題した、講演会だった. 韓国大学の、一部左派学生たちの物理的な反対と身の危険を冒す強行軍だった.
それはただ、彼らを目覚めさせ、新しい時代を準備するためだ.


以後、先生とともにハン女史は、新千年を迎えるまで、成約の御言を宣布する.


神様の理想家庭と理想国家と平和の王国の創建に、
真の親と一緒に最善をつくす皆さんとなってください.
億兆蒼生の平和の王、神様を真の親として暮す、真の王子・王女となってください.


神様の創造目的と救援摂理、そして罪悪世界の出発となった人間堕落の秘密、
神様はどんな方か?歴史はどこに行くか?
成約の御言葉は、旧約と新約に隠された秘密を、詳細に語っている.


驚くべきメッセージは、世界に大きな反響を呼んだ.
その中に、道であり真理であり、生命があるゆえ、
真の愛の神様がいらっしゃるゆえに-
女史は今日も、人類の最後のひとりまでも救いたいという熱い愛で、世界を巡る.


時には暖かいほほ笑みで始まった講演が、神様の心情を伝える時は、涙で熱くなる.
単語ひとつ、句点一つにも、摂理ににじむ、胸の裂けるような事情がよみがえる.
真の平和は家庭から始まり、絶対信仰と愛のあふれる家庭が、
幸せと平和の根源となるという真理 ...
それは、魂を揺さぶる感動と希望を与え、人を変え社会を変えて、世界を新しくする.


先生が同席できない大会では、画像電話やインターネットを通じて、心を一つにして、
大会が終わると、家族みなが交流しながら、新しい力を得た.


世界平和に向けた、苦難の路程に互いに和合し、激励と支持を送ることで、
人類和合の道、創造本然の、真の父母様としての模範を見せる.


歌も歌われる.


歌は国境は越え、メロディーが真実を伝えて、皆がひとつになる感動を生む.


女史の講演は、民間のトップ会談につながる.
ブッシュ米・前大統領夫妻、ドミニカ大統領、ウルグアイ大統領、ウガンダ副統領、
ニカラグア国防相、モンゴル国会議長、どこに行っても国賓待遇される、ハン・ハクジャ女史-


前・現職の国家首班や、社会指導者層と、親密に会談をして、
真の家庭を通じる平和世界実現のメッセージを伝える.
ハン女史に一度会った人は、その真実と愛に感動する.


世界の多くの大学が、ハン・ハクジャ女史に、名誉博士号を授与した.
女史の献身的な活動が、人類と世界平和に寄与した功労を認めたのだ.


千年の大転換期 1999年!ハン女史は、
世界35ヵ国、80ヵ都市に、真の家庭を通じた世界平和の実現のメッセージを伝え、
過去のすべての罪悪歴史を原理と愛で清算し、新しい秩序を立てることにより、
アダムから万民まで、太初から永遠まで、個人から天宙まで、
すべてを生まれ変われるようにしたのだ.


1999年6月14日、先生は女史に、「天の前に、真の子女の使命、夫の前に真の妻の使命、
そして子女の前に真の親の使命を果した」というタテを贈った.
ハン女史に、天と地の栄光が注がれた.


2千年代に入り、先生と女史は、天一国創建を実体化するための路程に拍車をかける.
このために 2005年、天主平和連合の創設後、世界120ヶ国を巡回し、
翌年は、子女と孫まで同行する、祖国郷土・還元大会・世界180ヶ国巡回が続いた.
ここでは御言葉とともに天の祝福で、参席者たちは「善の民」に生まれかわった.


大会の翌朝には、毎日、訓読会があった.


統一家、リーダーたちと会員たちに、希望と勇気を与えた.


真心をつくしたメッセージ.
世界平和と人類救援のための祈りと実践.
悲しみと苦痛の鎖に縛られた神様を解放するために、鋼鉄の意志で、
身の裂けるような苦難にも耐えて来た御旨の道.
いくら汲み出しても乾くことのない泉のような愛に、
触れるだけで胸に希望があふれてくる.
-----------------------------------------------------------------------
8. 빛나는 조국
8. 輝く祖国


새 시대가 열렸다.
하나님의 한을 풀고, 평화의 세계를 실현하고
인류구원을 향해 매진해 온 문선명선생.
그 뒤에서,
때론 그 옆에서 함께 개척해온 고난의 뜻 길!
한평생, 수시로 닥쳐오는 거센 역경을 거치며 가슴에 홀로 안고 살아온 노정은 참부모, 참스승, 평화의 왕의 길이었다.
新しい時代の幕開け.
神様を悲しみから解放し、平和な世界を実現して、
人類の救いのため邁進して来た、ムン・ソンミョン先生.
その後から、、時にはその隣で、、
ともに開拓して来た、苦難の道!
一生涯、つねに迫って来る荒々しい逆境を乗り越え、一人、胸にしまって来た路程は、
真の父母、真の師、平和の王の道だった.


이재석회장 - 참어머님과 참아버님이 일체가 되신 것입니다. 따라서 참사랑으로 승리하신 참어머님은 참아버님과 동위권, 동참권, 상속권을 갖게 되신 것입니다
真の母と真の父が、一つになったのです.  
よって、真の愛で勝利した真の母は、真の父と同位圏、同参圏、
相続圏を持つようになりました。


선생과 여사는 하나님의 참사랑을 중심삼고
일심,일념,일화가 되신 것이다.
先生と女史は、神様の真の愛を中心として、一心、一念、一和となった.
# 성우 男>>>
긴시간 오로지 뜻만을 위해 한길을 달려온 참.어.머.님.•
토란잎에 떨어지는 말씀의 물방울 소리에 우주는 빨려 들었고 청자빛 하늘을 얼싸안은 가슴은 천주를 둘러 쳤다.
長い歳月を、天の御旨だけのために歩まれた. 真のお母様.
時に怒涛のような、時に鈴を転がすような女史の声に、宇宙は吸い込まれ、
青い空をも抱く母の心は、天宙を揺さぶった.


선생이 새생명를 기르는 밝은 태양이라면, 여사는 그 빛을 받아 온누리를 어루만지는 환한 달이었다.
달빛 비추며 어둠을 밝혀오신 참어머님,
참어머님의 사랑은 모든 인류에 천일국의 희망이 되고 있다.
先生が新しい生命を育くむ明るい太陽なら、、
女史はその光で全世界を抱擁する、明るい月だった.
月の明りで闇を照らして来た真の母、、
真の母の愛は、全人類に天一国の希望を与えた.


선생과 여사는 지금도 창조 이상을 실현하기 위해,
강한 하나님의 나라와 평화 세계를 완성,
완결하기 위해 매진하고 있다.
先生と女史は、今も創造理想実現のため、
強い神様の国と、平和世界を完成・完結するため、邁進している.


2011년 하나님의 조국으로 선포된 한국으로부터 시작된 대회는 미국과 유럽 8개국,아프리카 에서 큰 주목을 받았다.
2011年、神様の祖国と宣布された、韓国から始まった大会は、
アメリカとヨーロッパ 8ヶ国、アフリカで、大きな注目を集めた.


90성상이 넘었음에도 불구하고 생사를 걸고
주시는 말씀은 난국에 처한 각 나라에 새 힘이 되고 있다.
90星霜をとうに越えても、命をかけてくださる御言葉は、
難局に処した国々の新しい力となっている.


영국에선 의회에서 말씀이 전해지고, 스위스에선 제네바에 있는 유엔 유럽본부에서 평화의 메시지가 선포되었다. 아프리카에선 나이지리아에서 현직 대통령의 각별한 지원속에 대회가 성료되 었다.
イギリスでは、議会で御言葉が伝えられ、
スイスではジュネーブの国連ヨーロッパ本部で、平和のメッセージが宣布された.
アフリカではナイジェリアで、現職大統領の格別の支援で大会は大成功した.


이제 참부모님을 중심하고 세계가 돌아가고 있다. 194개국 평 화기반은 만인평등, 만국형제국이 되어 ‘한 하나님아래 인류대 가족’의 이상을 실현하고 있다.
두 분이 흘린 피와 땀, 눈물은 세상의 생명과 사랑,그리고 평화 로 꽃피고 있는 것이다.
いま、真の父母様を中心として、世界が回っている.
世界の194ヶ国は、万人平等、万国兄弟国になって、
'神様の下の、人類大家族'という理想を実現している.
お二人が流した血と汗と涙は、世界の生命と愛、そして平和として開花している.


# 성우 男>>>
평생을 죽음의 문턱을 넘나들면서도 하늘길
걷는 선생과 함께 칠흙같은 어둠 뜷고 나온 인고의 길.
하늘의 길을 따라 외길을 걷는 선생이 비로소 안식할 수 있었던 유일한 한 사람.
설한풍의 청보리가 푸른 들을 이루듯 역경을 이겨내고 마침내 활짝 핀 한송이 꽃.
一生を、死と隣り合わせの天の道を歩かれる先生と共に、
言葉では言い表せない苦難の道.
天の願い、それだけに従う先生が、初めて安息された、唯一の人.
風雪に耐えて梅花うるわし、逆境に打ち勝ち、大きく開花した大輪の花.


말씀의 씨앗은 뿌리를 내리었고 주어진 책임을 다 이루었다.
果たして御言葉の種は芽生え、天一国創建は動きだしている.


# 성우 女>>>
천년학 날개짓으로 참사랑의 향기 흩날리는
당신은 완성을 지으시는 한 분, 우리와 언제나 계셔야 할 참어머님.
千年の鶴の羽ばたきで、真の愛の香りが飛散する。
あなたは、いつも私たちのそばにいてくださる真の母.


“평화의 꿈 널리 펼치시사
한 많은 지평선 넘어서
무한한 행복의 평원에로
사랑과 평화의 꽃 피우소서!”
"平和の夢があまねく広がり、
越え得なかった地平を越えて、
無限なる幸せの平原に、
愛と平和の花が咲きますように!"