【田村隆成政治チャンネル】聖 書:ヨハネ8:1~11
聖 書:ヨハネ8:1~11
(1) イエスはオリブ山に行かれた。
(2) 朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。
(3) すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、
(4) 「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。
(5) モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。
(6) 彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
(7) 彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
(8) そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
(9) これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
(10) そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
(11) 女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。〕
11月27日、キリスト教会、全国弁連、拉致監禁加害者、そして我々すべてが問われる「心の中の罪」。ヨハネによる福音書8章、イエスと姦淫の女。イエスは言われた「罪のなき者が石を投げつけるがよい」
2023/11/27
中川晴久牧師が推薦しておられた「キリスト教を哲学する」
日本人には理解が極めて困難なキリスト教。信仰の立場の整合性を捨て、由来の違う多様な要素による矛盾と混乱を認めつつ、哲学の立場から、罪、赦し、改悛、救済、ペルソナ、自由意志と予定説といった難問を解析、イエスの言葉が示すキリスト教の核心に迫る。
参考文献:
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