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1月12日、久保木修己氏の救国、救世の歩み。明日、台湾総統選挙。麻生太郎氏が中国の力による現状変更を批判。

1月12日、久保木修己氏の救国、救世の歩み。明日、台湾総統選挙。麻生太郎氏が中国の力による現状変更を批判。


1月12日、久保木修己氏の救国、救世の歩み。明日、台湾総統選挙。麻生太郎氏が中国の力による現状変更を批判。


久保木修己旧統一教会初代会長・略歴

1931年2月3日、中華民国安東県(現:中華人民共和国遼寧省丹東市)で父・仙蔵と母・よしの長男として誕生。仙蔵(1902年7月 - 没年不明)は千葉県香取郡津宮村出身で、京城商業善隣学校(現:善隣インターネット高等学校)を卒業後、朝鮮銀行を経て、西安商工公会参事・満州興業銀行西安支店支配人代理を歴任[3]。戦後は立正佼成会の唐津支部長をつとめ、のち佼成会の外部企業である立花産業の取締役になった[4]。母も立正佼成会の支部長[4]。


1945年、終戦にともない引き揚げ。慶應義塾中等部では野球部に所属、甲子園にも出場。慶應義塾大学に在学中、立正佼成会に入会、庭野日敬会長(当時)の秘書を務める[5]。宗教活動に専念するため、大学は4年生で中退した[6]。


1962年、立正佼成会を去り、世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合)に入教。このとき、立正佼成会の庭野日敬会長(当時)の指示で統一教会の教えを学んでいた青年部50名ほどが統一教会に転じた[7]。


1964年7月15日、日本統一教会の初代会長に就任[8]。


1968年2月22日、統一教会の合同結婚式(430組 ソウル市民会館)に日本人として初めて参加。既に結婚していた哲子夫人と既成祝福を受ける[注 2]。同年4月1日、国際勝共連合が設立[9]。初代会長に就任。


1970年9月2日、久保木は、岸信介の自筆の推薦文をしたため、韓国の朴正煕大統領と青瓦台の大統領官邸で会見。同月に開催される「世界反共連盟(現・世界自由民主連盟)世界大会」への韓国の代表団派遣を依頼した[10]。


同年9月20日、世界反共連盟世界大会が日本武道館で開催。岸が大会推進委員長を務め、久保木は議長を務めた。また、大会責任者を国際勝共連合の事務総長の阿部正寿が務めた[11][12][13]。韓国からは李応俊、李根、崔徳新らが参加した[10]。


1971年5月14日、中華民国(台湾)の総統、蔣介石と会談。ローマ教皇パウロ6世と会談。


1973年、全国124カ所で「救国の予言」と題して講演。同年4月8日、渋谷区の統一教会本部で久保木は元首相の岸信介を信者に紹介。岸は講演を行った[14]。同年11月23日、文鮮明、韓鶴子夫妻、教団幹部の李相軒、金栄輝らは渋谷区の統一教会本部を訪問。文と岸信介は長時間にわたり会談した[15]。久保木も同席した。


1989年7月4日、文鮮明は韓国で行った説教で「国会内で教会をつくる」「自民党の安倍派などを中心にして、久保木を中心に、超党派的に原理教育をした議員たちを結成し、その数を徐々に増やしていかないといけない」と述べた[16][17][18][19]。


1998年5月、脳梗塞で倒れる[1]。同年12月13日、死去。67歳没。


2004年12月、7回忌にあたって遺稿集『美しい国 日本の使命』が出版される。