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「真の愛」が先か?「神様」が先か?-- 諸星「本体論」からサタンの姿現す

「卵が先か? 鶏が先か?」といった堂々巡りを聞くことがあります。今回も諸星くると氏記事からのリブログです。

『「真の愛」が先か?「神様」が先か?』はどうでしょうか?



諸星くると氏主張のバックボーンには、サンクチュアリ教祖の文亨進牧師同様の「夜昼の神様論」があります。
サンクチュアリ教義形成の背景には月刊誌「TWJ」2012年天暦1月号に掲載された亨進牧師メッセージ「夜の神様、昼の神様」、文総裁が晩年に語られていた「夜の神様、昼の神様」の解釈を巡っての違いがあったことを自称ルポライターtomy4509の検証にて明らかにしていました。


◆「くると氏ブログから--コメント整理(その9)--お父様のみ言に従うのか? 亨進氏か?

英語圏生まれの亨進氏はお父様み言を韓国語直接に聞かれたのか、あるいは、通訳(誤訳?)を介してだった可能性も否めないものです。黒・天聖経のそれらを否定される亨進氏の「夜昼の神様【論】」、これもまたお父様の語られたそれと一致しているかどうかの検証がまず第一にされるべきことを訴えてきました。

亨進氏解釈の夜昼の神様は、実は通訳者の誤訳からであった? の疑問から未だに抜け出ていません。国民支持大会でお父様が語られたというみ言そのものの確認は私は取れていません。くると氏はどうなのですか?

亨進氏のそれをそのまま鵜呑みにすることはできません。フンスク様解釈との違いもありますから。


※ シムソン氏は諸星くると氏と同一人物です。


サンクチュアリ教会はお父様み言「夜昼の神様」の誤訳の申し子であったというのが、自称ルポライターtomy4509の結論です。


諸星くると氏の記事は、彼の「夜昼の神様論」からの延長ともいうべき自論「真の父母様本体論」について書いていました。もちろん「真の父母様」といっても家庭連合とサンクチュアリ教会では教えているところの「真の父母様」は異なるものです。諸星氏の「真の父母様本体論」でいうところの真の父母とは、サンクチュアリ教会の文亨進牧師による姜賢實女史と「(文総裁以外の)誰か?」との【偽装結婚】による「真の父母」を指してのものです。
お父様が語られた『原理本体論』では、地上の夫婦関係は霊界でも永遠であることを教えていた(以下)ことを見ても、姜賢實女史とのそれは明らかな【偽装結婚】、サンクチュアリ教会信徒の皆様はいい加減にそれに気づかれるべきでしょう。

▲『原理本体論』創造原理から



さて、今回諸星氏の記事は「神様の誕生」についてです。
『えっ? 神様の誕生!!』と驚かれるかもしれませんが、彼の記事からも「>真のお父様は神様は愛によって生まれたと語られています。<」ということです。


私の記事冒頭から、いきなり『「真の愛」が先か?「神様」が先か?』の疑問を提起していました。神様と被造世界となれば、もちろん、神様・創造主ですから神様が先と言えるでしょう。では、「真の愛」と「神様」とではどうでしょうか? という話です。
お父様み言「宇宙の根本」(黒・天聖経)からは

三、宇宙の根本は愛である


 1.宇宙の中心は愛である


 この宇宙全体、天国全体の中心軸は何ですか。愛です。愛は、生命の根本であり、血統の根本です。それは、愛を中心として成されているので、愛の軸に従って運動します。運動とは、ただするのではないのです。運動は、必ず主体と対象を中心とするので、それ自体の位置において、愛を中心として関係を結んで行動するのです。

 永遠の愛の実績として存続したいというのが、すべての運動するものの目的になっているというのです。作用とは、ただするのではないというのです。

              *

 宇宙の根本は、愛から始まりました。神様はどのようにして生まれたのでしょうか。愛が中心です。ですから結論は、絶対的な神様も絶対的に服従したい理想郷をもたなければならないということです。完全に服従するところに完全な幸福があり、完全な解放があるところに完全な幸福があるのです。

              *

 宇宙の根本の動機は、何を中心として動くのでしょうか。男性を中心として動くのではありません。女性を中心として動くのではありません。神様御自身を中心として動くのでもありません。神様が動くことができる動機は何かというと、愛です。

 それゆえに、愛は、始まりであり終わりだというのです。コリント人への第一の手紙第十三章を見れば、信仰と希望と愛はいつまでもあるが、このうちで一番は愛だ、といいました。それは、なぜそのようにいったのでしょうか。それを解くことができなかったのです。

              *

ということで、諸星氏の意見も「真の愛」が先だとしています。ところが諸星氏は、「真の愛(絶対的主体)⇌ 神様(絶対的対象)」を授受作用で考えたところから大きな間違いが生じてしまいました。

「神様御自身も真の愛を絶対視して、それに絶対服従して生きる。」ということは、神様が真の愛に対して絶対的対象に立ちたいと切望するほどの体験をしたのです。


神様は自分自身の存在を、真の愛の絶対的対象として立てられたがゆえに、神様は絶対的主体としての位置を確立できたのです。

この一文こそが、

つまりは、「夜の神様(男性格)=天使長(サタン)」の姿を現したものでした。


(亨進氏の「夜昼の神様」解釈同様に)諸星氏の「夜昼の神様論」は、神様本体が「夜の神様(男性格)」だと規定していました。その神様ですが引用した一文を整理すれば、「真の愛」に絶対的対象となりたいと切望したことで絶対的対象の位置から「神様は絶対的主体としての位置を確立できた」ではなく、「”絶対的” 主体」と「”絶対的” 対象」ですから【絶対的】にみて「主体」と「対象」が入れ替わる原理はあろうはずがありません。ところが、諸星「本体論」はそれを可能ならしめたのが彼の「本体論」でした。

失楽園(堕落論)を考えてみてください。天使長ルーシェルが ”愛の減少感” から「愛」の主人(主体)になろうとしてエバを誘惑していった、非原理的な「愛」そのものを連想させるものです。

彼の「夜昼の神様論」からは天使の創造がなかったので、それを何度も質問していましたが一向にその回答はありませんでした。ここにきて改めて、「夜の神様(男性格)」に身を隠した天使長ルーシェル(サタン)が浮かび上がってきました。


英語訳の「誤訳」から亨進氏メッセージ「夜の神様、昼の神様」の申し子として出てきたサンクチュアリ教会、そして、それを正当化しようとしての諸星くると氏の「夜昼の神様論」やその延長線上の「真の不母様本体論」のサタン性が、今回記事からより顕わとなってきたというものでした。当然のことながら、サンクチュアリ教会もその「サタン」に牛耳られた教会であったということになります。


亨進牧師による【偽装結婚】と照らし合わせてみてください。家庭連合の韓総裁は決してそのようなサタンの誘惑には屈しませんでした。姜賢實女史こそが可哀そうな人です。


◆「シムソン(恣意存)氏の行きつくところは?--tomy4509の憶測から」(2019.06.07)

16万女性修練会でのみ言からも、エバを中心としてカイン・アベルが一体とならずには本然のアダムへとつながることは出来ない。

私からは四位基台で説明していた。

妻(母)=子(カイン=アベル)】となって、サタンによって切られていた神側の夫(父)との関係を蕩減復帰していくというものだ。
しかしながらサンクを見てみた時に、さらにはその四位基台が180度回転してしまっているということには驚きだ。逆主管……

子どもが母親を主管しては、誰とも分からない夫との【偽装結婚】で表面をつくろったサンクチュアリ教会でしたが、「夜の神様(男性格)=偽りの父」を荷台に乗せた「荷台王」を絶対視したところでその結末は見えています。かつては真の父母様から寵愛された信俊様であったとしても、それに追従する限りにおいては同様です。



ところで、ちなみに「真の愛」と「神様」についてですが、以下の図解を参照してください。


◆「サンク教義の誤り「夜昼の神様論」--Facebookから新たな「夜の神様、昼の神様」図解

上部の「神」ですが「真の愛」と置き換えることもできます。
「真の愛」によって分かれた「夜の神様」「昼の神様」から「父なる神様」「母なる神様」(天の父母様)が誕生していく過程とみてよいでしょう。人間始祖のアダム・エバもまた堕落がなければ「真の父母」となっていました。復帰摂理はこの「真の父母」を復帰して再創造していくものです。