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加油氏、応答になっていません(その1)


先ずは「「お父様は原罪あり、お母様は原罪なし」を、私も受け入れる!! | 奇  知  外  記 - 楽天ブログ」ですが、私はこれを撤回したのではなく、お母様のみ言からの教理研究院の公式見解はそれとして受け入れ、個人的意見は「保留」にしているだけです。家庭連合の信者だけでなく、自称ルポライタイーtomy4509としての顔も私は持っています。文鮮明総裁と韓鶴子総裁の生誕時における「原罪の有無」については、2017年2月の記事末も前回に紹介しましたが、「再臨主は、無原罪のエバを捜しては『子羊の婚宴』を成して『真の父母』となる」、お父様が180回ほど語られていたその「独生女(無原罪エバ)」は誰なのか? また、「神様は天の父母様」などといったお父様のみ言を隠蔽しての分派の批判に何の意味があるのか!!、ということです。
また、教理研究院の公式見解と私のそれが違ったとしても何らの問題はないと考えています。教団としての公式見解は後世にも残っていくものであって、こんにちの混乱が未来にも起こらないようしていくためのものであろうというのが私からの個人意見です。


私たちの信奉の原点は2000年前のイエス様のような「独生子(神の独り子)」でもなく、また、「独生女」でもありません。創造理想を完成した「独生子」と「独生女」が出会って『子羊の婚宴』が成されての「真の父母様」です。お父様は聖和されたとしても、霊界ではその霊人体は神々しい光を放たれておられますし、お母様もそのお父様と一体化を成しておられるとの信仰です。求道者にとっての関心事は、原理講論に書かれた「我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。……ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。」のはずですが、それすらも忘れての自己の利益を追い求めての批判に何の意味も見い出せません。有志ブログも顕進氏支持(ヘッド)の旗印を降ろされての「批判のための批判」はなおさらでしょう。


さて、今回の加油氏のそれは私への応答のつもりでしょうが、実際にはそうはなっていないですね。


引用1:

「再臨主までエバが生んであげなければならない」というみ言葉は、メシアも赤ん坊として女性から生まれるのであり、お父様の時も、イエス様誕生の時も、忠母様と母マリアが果たした責任があったのですから、当然のみ言葉です。


このみ言葉を引用して、なにが仰りたいのかわかりません。「お母さまがお父様の原罪を清算した」とでも言いたいのでしょうか?

ここでいうお父様の忠母様が果たされた責任とは何だったのでしょうか?
忠母様は聖酒を飲まれた事実もなければ、三日行事などは程遠いものです。
イエス様は肉身を持って地上に再臨されるという意味で、その母親(エバ)としての忠母様を言われているのでしょうが、無原罪で生まれたという証拠とはなり得ません。
イエス様を生んだマリヤは、タマルにも見るような神様の命令への絶対信仰によるものでした。文家はそれまでは儒教の信仰でしたから神様への直接の信仰を持っていたわけではありりませんでしたが、お父様16歳前にキリスト教へ改宗したことが「独生子」としての条件となったと見るべきであって、私たちが聞いてきた「主の路程」がそれを裏付けています。イエス様「独生子」の時のような既成概念での判断は慎まれるべきです。だからといって、イエス様が神様の「独生子」だというそれもイエス様十字架の後でのキリスト教信者らによる信仰以外の何ものでもありません。ハッキリとそれが分かっていたならばイエス様は十字架に架かれれることはなかった、というのが原理の教えです。こんにちの家庭連合の混乱もその信仰によるもの、真の父母様をメシヤ・再臨主として信じられるかどうかが分かれ目となっています。


引用2:

以下の『み言葉が』お父様が原罪なく誕生される理由です。


<引用開始>

「再臨主はイエス様が果たせなかった神様の復帰摂理の根本を完成するために来られます。すなわち、創造理想を完成すべき真なる本然の赤ん坊の種として来て、神様の真の愛、真の生命、真の血統の根源になる真の父母の理想を完成するために来られます。彼(再臨主)は、既にイエスの時まで神側が勝利した根本基台の上に臨在されます。すなわち、イエス様が大人になられる時までの勝利的な基盤の上に正しく立たれて、彼が果たせなかった新婦を探し出し、真の父母になられ、万民を救ってくださるのです」 『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』41~42ページ)

<引用終わり>


つまりイエス様が『メシアの為の基台』によって、無原罪で誕生されたのですから、再臨主はその基台の上で、無原罪で誕生できるというのがみ言葉です。peace2さんが絶対に従うべき教理研究院はなんと言っているのでしょうか。

つまりイエス様が『メシアの為の基台』によって、無原罪で誕生されたのですから」ですが、原理講論をよくお読みください。


「信仰基台」、次に「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てて「実体基台」であり、そして、「メシヤのための基台」ということになりますが、イエス様の第一次路程の中心人物は洗礼ヨハネでしたが、彼のイエス様への不信で失敗しました。第二次路程はイエス様が仕方なく洗礼ヨハネの立場で歩まれたがゆえにサタンからの三大試練も受けられましたし、また、十字架への道を行かざるを得なくなりました。第三次路程における再臨主はというと、

しかし、再臨主は、初臨のときの復帰摂理路程を蕩減復帰しなければならないので、あたかも彼の初臨のとき、ユダヤ民族の不信によって、霊的復帰路程の苦難の路程を歩まれたように、再臨のときにおいても、もし第二イスラエルであるキリスト教信徒たちが不信に陥るならば、その霊的な苦難の路程を、再び実体をもって蕩減復帰されなければならないのである。イエスが「しかし、彼(イエス)はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」(ルカ一七・25)と言われた理由は、とりもなおさず、ここにあるのである。


それゆえに、イエスは初臨のときに、彼のために召命された第一イスラエル選民を捨てられ、キリスト教信徒たちを第二イスラエルとして立て、新しい霊的な摂理路程を歩むほかはなかったのと同様に、再臨のときにも、キリスト教信徒たちが不信に陥るならば、彼らを捨てて新しく第三イスラエルを立て、実体的な摂理路程を成就していくほかはない。さらにまた、イエスは再臨のときも初臨のときと同じく、彼の道を直くするために洗礼ヨハネの使命(ヨハネ一・23)を担ってくるはずの先駆者たちが、その使命を全うし得ないときには、再臨主御自身が、再び洗礼ヨハネの立場で、第三次世界的カナン復帰摂理のための「信仰基台」を実体的に造成しなければならないので、苦難の道を歩まれなければならないようになるのである。

つまりは、イエス様は「メシヤのための基台」があって無原罪で誕生されたは、間違いです。
もちろん、イエス様無原罪はマリヤの信仰の賜物からであり、それは否定はしません。
イエス様はメシヤとしての使命を持って来られた方ですが、それを完遂することができなかったために再臨を約束されて逝かれました。このように見てきたとき、第三次路程で来られる再臨主はイエス様の失敗をリセットした状態で来られるとは当然考えることは出来ません。エリヤの再臨使命を持って来た洗礼ヨハネは個体は違ったとしてもその使命分野からみてエリヤの再臨者であったと、イエス様は語られていました。こんにち、再臨主もまた、イエス様の使命を継承してこられたお方であり、その中心人物として立つためには前任者の失敗を蕩減しなければならない、という蕩減原則があります。加油氏はそれをも見落としていないですか?


イエス様が十字架に架かられた立場は「独り子」としてでも、決してこの世から認められた立場ではありませんでした。ただ一点、イエス様と十字架を共にした右の強盗がこの地上に残した信仰がこんにちのキリスト教の起点です。


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これからオンライン生中継による「天の父母様聖会 平和祝祭」を視聴するために教会へ行く時間ですので、続きは次回にします。


「天の父母様聖会 平和祝祭」は以下より視聴できます。時刻が変更となり09:20から開始との連絡がありました。