peace2のブログ

韓国ニュースを中心に紹介しています。

独善的見聞録「お母様…鬼の所業ですね。-isakuのブログ」

何度も勧告していますが、イサクさん記事は「家庭連合批判のための批判」でしかなく、イサクさん自身の(間違った情報を元にした)独善的見聞録でしかありません。情報そのものに信ぴょう性はなく、お母様を貶めるために作成されたデマです。今回(06/10)記事もまた、噓つき郭錠煥氏自叙伝「事必帰正」からの引用をもとにしたイサクさんの憶測からのものでしかありません。


以下はイサクさんによる憶測記事の一部引用です。

書籍(『事必帰正』)の記載では・・これが・・8月15日のことだったそうで・・

  ” 確か・・教会で報告があった時に時系列の説明を

   聞いていたはず・・なのですが・・

   お母様の言葉があまりにも唐突(理解不能)だったので

   頭の中で・・すっかりと・・時間の経過が抜け落ちていました。”


そして・・お父様はその前から入院されておられた・・とのこと。


  >お父様を他の病院に移さずに、完全に回復されるまで、

   続けて治療を受けられるようにお願いしたのです。


ということなので・・

8月15日のこの日には・・すでに・・

転院の話がでていたようですね。(←イサクさんの独善的憶測から次の一文を展開しています。事実ではありません。)


となると・・この時にはすでに

医師の方から

「喉の切開と全身麻酔の中止」の説明を受けていた・・ということですね。


そして、

その言葉に対して・・

お母様が・・

「御聖体に傷をつけてはいけません。ここでは・・私の願う看病ができません。

 祈ることさえできません。転院します。」

と言われていたのですね。


つまり・・医師の説明を聞きながら・・

お子様方にあれほど反対されていながら・・

「御聖体に傷をつけてはいけません」の一言を押し通して・・

転院までの間・・約・・2週間。


戦い続けていた (自身の我を貫き通していた) ・・ということですね。

そして

その間・・文先生は・・ずっと全身麻酔を受けていたということですね。

つまり・・2週間もの間・・

満身創痍の文先生の身体を薬漬け(毒漬け)にしていたということですね。


お母様は・・言葉では・・

「私は妻として・・もっと、夫の為に精誠を込めたいのです」

といいながら・・

医師の治療を拒み続け・・

日増しに弱っていく文先生の身体を・・黙って・・ただ・・見ていただけなのですね。


先ずは、イサクさんの「tomy3974さん・・批判ではなく、祈ることを提案しているのですが・・ - isakuのブログ」に入れた私からの「未承認コメント」(2021/06/06付、以下)があります。


また、イサクさんの記事に対してのリブログ「「御聖体に傷をつけてはいけません」? -- 【追記あり】 - peace2のブログ」もしていましたが、イサクさんはそれらに対してまったくの「無視」を決め込んでは「独善的見聞録」を押し通そうとしているようです。


リブログ記事では一番最初にリンクだけを入れていた「過去記事資料」には全く目を通されていないようですね(以下)。

韓国統一教HP(日本語)

石会長 書信


尊敬する食口の皆さん!

真の父母様の快癒のために精誠を捧げておられる食口の皆様に心より感謝申し上げます。

食口の皆様がなによりも真の父母様の安否について心配され気遣っていらっしゃるので、真のお父様の近況についてお知らせいたします。

昨日主治医の見解では、(昨日より)48時間が峠で、50対50という表現でした。真のお父様は昨日と比べてまだ大きな変化がない状態ですが、今朝主治医からは、昨日より浮腫みもたくさん引いて好転したという所見がありました。必ず快癒されると信じております。

文亨進世界会長は天暦6月28日(陽暦8月15日)である昨日の早朝より、すべての真の子女様に直接あるいは補佐官を通じて連絡を取りました。

真のお母様をはじめとして亨進様家庭と國進様家庭、仁進様家庭、妍進様、情進様は帰国されて24時間病室を守りながら祈祷と精誠をつくしておられます。今日は譽進様、権進様家庭、恩進様、善進様家庭が来られる予定です。

今まで多くの食口の皆様が心配していた件ですが、幸いに顯進様も連絡を受けて病院を尋ねて来られ、熟眠中の真のお父様に会って行かれました。

韓国協会では昨日午後6時、協会本部で元老宗親と機関長、主要指導者の皆様へお父様の近況に対する詳しいブリーフィングと、全ての統一家が心を合わせて真のお父様の快癒のために祈祷と精誠を捧げることを決意しました。合わせて、すでに全世界の統一家の多くの食口の皆様が真のお父様の消息を聞いて、自発的に断食と徹夜祈祷など至極なる精誠を捧げていらっしゃるという知らせが入りました。

至誠感天という古語のように、私たちの精誠が天に触れ、必ずや真のお父様の元気な姿を再びお目にかかることができるように願います。

ありがとうございます。

世界副会長 兼 韓国協会長 石竣昊


文亨進世界会長(当時)のビデオではお父様の病状について、また、手術の有無についての話もありました。それもイサクさんは視聴されていないのではないでしょうか?!


リンク先のみの「真のお父様近況--石会長 書信 | 韓流サッカーをエンジョイ(過去記事資料)」にもイサクさんは目をくれようとはしませんでした。もしもされていれば、上記の記事はなかったでしょう(再確認のため一部引用)。

皆さんもご存知のように、真のお父様は 93歳のご老令です。そのような老令の玉体を 一日たりとも休まれずに酷使されたので、限界のある肉身がどうして病気を避けることが できるでしょうか? 真のお父様は一生を病院とは因縁を結ばずに生きようとする信條を 持たれながら初志貫徹されて来られた方です。このようなお父様だったので今回もお父様 は簡単に病院に行かれようとはされませんでした。しかし真のお母様の切実な訴えでよう やく決心されて、古くよりアメリカで主治医として信頼し治療を依頼して来たソウル聖母 病院がんセンター院長のチョン・フグン博士の往診を機に、ソウル聖母病院に入院される ようになりました。


真のお父様はこのように8月3日聖母病院に入院された後10日間にわたりレントゲン、 MRI など必要なすべての検査を受けられました。結局肺炎であるという判定を受けるよう になり、病状は非常に深刻で、敗血症、肺不全により肺に水がたまっていることが分かり ました。「絶対安静」が必要である、という医師からの注意がありました。しかしお父様 は天正宮に必ず行かなければならないことを強く命じられ、8月12日に還宮されました。 還宮後には天正宮のこちらあちらを見回され、手で触って見たりされながら別れの挨拶を するかのようなお姿でした。真のお母様に侍り最後の祈祷のような深刻な祈祷もされまし た。「すべて成された!」というみ言を一日の間に4回もされながら、周辺を整理する姿 もありました。お母様の手を取られて「ありがとう!」というみ言も、機会がある度にさ れました。


このように一晩ほとんど休まれずに天正宮で祈祷とみ言で過ごされたお父様は、その翌 日の8月13日には自動車に乗られ、清平団地を回って来ると言われながら清心中高等学校 の前まで行って来たりされました。普通の人であれば床から起き上がることもできない程 のご病状でしたが、真のお父様の精神力は想像をはるかに超越したお姿でした。しかし午 後になるとお父様の体力は急激に衰え始めました。もちろんこれを誰よりも先に感知され たお方は、真のお母様でした。お母様は涙でお父様に訴えられながら、病院に行きましょ うと懇請を申されました。普段であれば一言で断るお父様でしたが、この日は喜んでお母 様の忠告を受け入れられて「そうかいオンマ。ありがとう。」と語られて清心国際病院へ 行かれました。


清心国際病院に何時間か留まりながら療養をされておられる間にも、真のお父様の状態 は更に悪くなりました。ひどい咳をされながら苦しそうにされているお父様をご覧になら れたお母様は、直ちにお父様の許諾を受けて再び総合病院であるソウル聖母病院へお父様 を送られることを命じました。とり急ぎお父様が普段好まれて乗っていらっしゃったSUV 車で、お父様に侍り清心病院の看護婦2名と酸素ボンベ2本を載せて、車中でも酸素供給 を続けました。約1時間程かかる道のりでしたが、千年も過ぎ去るような恐ろしい死闘の 時間でした。ソウル聖母病院まであと約20分という地点からは、お父様の呼吸が甚だしく 乱れるようになり、これ以上堪えることができないようなお姿でした。運転手や看護婦たち、車中にいたすべての人々はその時点でこの世が終わったような戸惑いを感じながらも、 命をかけて疾走しお父様を無事に病院までお送りしました。


ソウル聖母病院207号室に入室された真のお父様は、直ちに応急措置を受けられまし た。夜中でしたがここそこから非常呼び出しを受けて駆けて来た医師たちだけでも5~6 人、看護婦たち7~8人、各種の応急手当の装備が数台.... まさに戦争を彷彿させるような、一時間程の闘いでした。祈祷と訴えで天の前にすがっている私たちの姿は恐怖と緊張で涙も流すこともできず、二つの目をつぶったまま呼吸も まともにすることができずに、ぶるぶると震えてばかりいました。やっと応急措置が終わ り、その晩夜の十二時が過ぎた時にお父様は5階の重患者室へ移されました。私の生涯で 最も長い一日がこのように過ぎ去って行きました。深夜1時をはるかに過ぎて重患者室の 準備を終えて出て来たチョン博士は「清心病院から私たちの病院に到着する時間があと30 分だけ遅かったら、今日は大変なことになるところだった。」と、真のお母様の知恵深く 素早い決心に驚いていました。



イサクさんからは時系列ということでしたので、私の過去記事資料から整理してみました。

  1. アメリカから帰国さ れた去る7月16日よりひどい風邪にかかり咳が続いていましたが、ものともせずに毎日早 朝訓読会を筆頭に摂理の現場を直接訪問されながら陣頭指揮をされて来られました。この ようにお体を考えずに無理を繰り返えす過程で、真のお父様は肺炎を病むようになられて しまったのです。
  2. 真のお母様の切実な訴えでよう やく決心されて、古くよりアメリカで主治医として信頼し治療を依頼して来たソウル聖母 病院がんセンター院長のチョン・フグン博士の往診を機に、ソウル聖母病院に入院される ようになりました。
    8月3日聖母病院に入院された後10日間にわたりレントゲン、 MRI など必要なすべての検査を受けられました。
  3. 8月12日に(天正宮へ)還宮されました。
  4. 8月13日には自動車に乗られ、清平団地を回って来ると言われながら清心中高等学校 の前まで行って来たりされました。普通の人であれば床から起き上がることもできない程 のご病状でしたが、真のお父様の精神力は想像をはるかに超越したお姿でした。しかし午 後になるとお父様の体力は急激に衰え始めました。もちろんこれを誰よりも先に感知され たお方は、真のお母様でした。お母様は涙でお父様に訴えられながら、病院に行きましょ うと懇請を申されました。普段であれば一言で断るお父様でしたが、この日は喜んでお母 様の忠告を受け入れられて「そうかいオンマ。ありがとう。」と語られて清心国際病院へ 行かれました。
  5. (8月13日)清心国際病院に何時間か留まりながら療養をされておられる間にも、真のお父様の状態 は更に悪くなりました。ひどい咳をされながら苦しそうにされているお父様をご覧になら れたお母様は、直ちにお父様の許諾を受けて再び総合病院であるソウル聖母病院へお父様 を送られることを命じました。
  6. ソウル聖母病院207号室に入室された真のお父様は、直ちに応急措置を受けられまし た。夜中でしたがここそこから非常呼び出しを受けて駆けて来た医師たちだけでも5~6 人、看護婦たち7~8人、各種の応急手当の装備が数台.... まさに戦争を彷彿させるような、一時間程の闘いでした。
  7. 応急措置が終わ り、その晩夜の十二時が過ぎた時(8月14日)にお父様は5階の重患者室へ移されました。……深夜1時をはるかに過ぎて重患者室の 準備を終えて出て来たチョン博士は「清心病院から私たちの病院に到着する時間があと30 分だけ遅かったら、今日は大変なことになるところだった。」と、真のお母様の知恵深く 素早い決心に驚いていました。
  8. 文亨進世界会長は天暦6月28日(陽暦8月15日)である昨日の早朝より、すべての真の子女様に直接あるいは補佐官を通じて連絡を取りました。
    (8月15日)幸いに顯進様も連絡を受けて病院を尋ねて来られ、熟眠中の真のお父様に会って行かれました。
  9. 今まで真のお父様の病状が好転しているようにお話ししてきましたが、数日前からは元 通りになることができない状態に入ったというのが医師たちの報告です。切なくて悔しい 心で病院を見守る真のお母様をはじめとする私たちは、ソウル聖母病院と同時にソウル大 学校病院の門をたたいてみたりもしました。
    ところが意外にも青天の霹靂のような警告を受けてしまいました。ソウル聖母病院とソ ウル大学病院の呼吸器系統の韓国最高の医師たちの結論が、現代医術の見地ではこれ以上 真のお父様の肺機能の回復を約束することができないというものでした。真のお父様の肺 機能が回復する確率がほとんど皆無であるという、とてつもない現実の前に私は泣きわめ きました。8月28日のことでした。一人部屋に入られて限りなく慟哭されるお母様の姿に おえつ 触れた私は、胸がつぶれるほどに嗚咽しました。しかしこの冷酷な現実をとり戻すにはあ まりにも遅すぎました。私たちは次の段階の摂理に足を移さなければならないためでしょう。
  10. 真のお母様の指示に従い、8月28日の午後に私たちは対策会議を持ちました。参席者は キム・ヨンフィ、パク・ポーヒ、イ・ジェソク、ソク・チュンホ、訓母様、キム・ヒョー ヨル、そして真のご家庭の代表として文國進様と文亨進様、この8名が真のお母様に侍り 深刻な会議をしました。全員が、今私たちが当面している深刻な現実に対して、どのよう にすれば真のお父様をより少しだけでも地上で長く侍ることができて、より少しでも楽に 生きられて行かれるようにできるかどうか、深刻に考えて議論しました。真のお母様の意 志はいつよりも強いものでした。「何の事があっても、真のお父様のご聖体を保護しなけ ればならない!」というみ言でした。
    実は総合病院の重患者室というのは、医学的には厳格に保護されて徹底的に管理されて いる所であることには間違いないのですが、霊的な雰囲気や環境としては限りなく劣悪で 不潔な所でもあります。ある日には一日に何人ずつも死んで行くこともあり、また面会の 時間になって訪問者たちが群がって来ると電車のホームのような雰囲気にもなります。重い病気の患者ですから、免疫力がほとんど0まで落ちている真のお父様のご聖体にどのよ うな病菌が侵入してくるかも分からない状況になるのです。
    真のお母様と真の子女様そし て対策会議に参加したすべての方々は、万人の聖地となる清平団地内の、真の父母様が立 てられた清心国際病院で専門的な治療を受けられることが、より大きい摂理的な意義があ るという結論を下しました。そう遠くない時期に真のお父様はソウル聖母病院担当医師た ちの看護を受けながら、真の父母様の天正宮がある清心団地に移られるようになるでしょう。
  11. 真のお父様は昨日(天暦7 月15 日< 陽暦8.31>)夕方6 時40 分ごろ、ソウル聖母病院を出発して7 時40 分頃に清心国際病院に無事到着しました。このプロセスには、すでに家族様たちに申し上げたようにこの主治医の前博士と聖母病院の集中治療室、呼吸器患者総括医師であるキム博士が救急車に同乗してすべてのプロセスを総括指揮し、聖母病院の集中治療室で真のお父様を担当看護した熟練した看護師二人、そして真の家庭を代表して文国進理事長も救急車に一緒に同行して、清心病院まで丁寧申し上げ某ました。
  12. [공지] 참아버님 성화 | 韓流サッカーをエンジョイ(過去記事資料)


イサクさんの見聞録からの「御聖体に傷をつけてはいけません」と、ソクジュンホ世界副会長メッセージからのお母様のみ言「何の事があっても、真のお父様のご聖体を保護しなけ ればならない!」では大きな意味の違いを感じます。もちろん、「真のお父様のご聖体を保護しなけ ればならない!」であることは誰もが同意されるものです。


このように、ソウル聖母病院への入院をお父様に説得されたのはお母様でしたし、医療の限界と霊的な保護のために清心病院への移動を決定されたのもお母様でした。
既に治療のためにお父様の聖体には何本もの管が刺されていましたが、にもかかわらずお母様が「御聖体に傷をつけてはいけません」などといわれたは矛盾しています。明らかな間違いであり、訂正記事を書かれるべきではないでしょうか。