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……実は、解釈(介錯)を求めていた?!

ほふられた子羊さんは「㉒「再臨主が来ます」 ☞ 嘘だったら・・腹切りです!! - 平和の主人 血統の主人」とも書いていました。




ブログ記事は彼独自の「注釈」によってのみ解釈できるものです。
そうであれば、私からも「注釈」をつけての「解釈(介錯)」をしてみようと思います。


※ 介錯(かいしゃく)は、切腹に際し、本人を即死させてその負担と苦痛を軽減するため、介助者が背後から切腹人の首を刀で斬る行為。



子羊さんは『赤・天聖経』の二章一節の【1】のみを引用していました。上記の子羊さん記事のキーワードは「歴史時代」です。


ところが、第一節全体では「歴史時代」は5個ありました(以下)。私からの注釈は(紫色)で入れています。


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赤・天聖経 第二篇 真の父母 


第二章 真の父母とメシヤ


第一節 人類の希望


1(古い)歴史時代には真の父母がいませんでした。地上に堕落した父母だけがいたので、天上にも真の父母がいませんでした。神様を人類の父母と言うのですが、神様 はどのような立場にいるのでしょうか。神様御自身が真の父母になろうとすれば、真の子女をもたなければなりませんが、そうでない立場では、真の父母になれ ません。ですから、神様御自身の立場を見ても、人類を創造することはしましたが、創造した立場で、父母としての位置、真の神様としての位置をもてなかった のです。すなわち、人類の始祖が堕落したので、神様は真の神様になることができませんでした。


言い換えれば、人類の完成とともに、人類の真の父母を中心とする人類の真の家庭が成されたはずであり、人類の真の家庭とともに真の氏族、真の民族、真の国 家、真の世界が形成されたはずです。このようになっていれば、真の神様の心情を受け継いだ真の神様の血族になったはずであり、真の神様の血族によって、真 の神様の民族が形成されたはずです。その民族を中心として、神様が直接治める一つの国が形成されたはずだというのです。


真の父母は歴史的願い


2 私たちは堕落した人間なので、真の父母を失ってしまった群れです。真の父母を失ってしまったので、真の子女になることができなかった群れです。創造当 時、最大の善の理念で立てようとした真の父母と真の子女がすべて壊れていきましたが、神様は、歴史的な苦労の路程、数多くの逆境と数多くの苦痛の路程を経 てでも、再び真の父母を立ててくださろうとするのです。同時に、真の子女を立て、真の夫婦、真の兄弟、真の国家、真の世界、真の人類、真の天宙を立ててく ださろうとするのです。神様は、最初から堕落した人間の心の中に入ってきて役事するのではなく、遠い相対的立場で、堕落した人間に万物を連結させ、真の息 子と連結させたのち、あとから人間の心の中に入ってきて、心情の父になろうとするのです。これが救援摂理の終着点です。


3 堕落した世界の歴史について見てみるとき、この世界には堕落した父母が生まれました。堕落した父母が生まれて、堕落した世界をつくったというのです。こ の世界は、堕落した父母と因縁づけられた世界であって、真の父母と神様が理想とした本然の世界とは、関係のない世界です。ですから、長い人類歴史を経てき ながら、この世に多くの人たちが生まれて死んでいきましたが、彼らの中で、幸福を謳歌しつつ、「私は人間として生まれて幸せであり、人間としてすべての面 で成功した一人だった」と、宇宙の前に誇って生きて死んでいった人は一人もいないのです。


4 人間の歴史的な願いは、真の父母に侍ることです。真の父母を迎えることです。神様がイスラエルの囲とユダヤ教を立てられたのは、メシヤを迎えるためで す。メシヤとは真の父です。また、キリスト教とキリスト教文化圏をつくったのは、再臨主を迎えるためです。再臨主は、第三次アダムとして来られる真の父で す。


5 私たちが抱くべき希望とは何でしょうか。天に代わってこの地に来られる真の父母様に侍ることを心から希望しなければなりません。


侍るには、勝利の基盤が形成されたのち、万民が仰ぎ見、万民が恭敬するようになった立場で侍ることを願ってはいけないのです。悲しい歴史を経ている真の父 母に侍ることを願わなければなりません。悲しい歴史を経ている真の父母に侍ることができなかったことを、先祖たちは恨と思っています。真の父母に侍ること を、全人類は心から希望するのです。ですから、栄光の場で侍ろうとするより、悲惨な場で侍る真の孝子、真の孝女にならなければなりません。


6 真の父母が来られる時になると、世界のすべての国家が兄弟の関係をもつので、第二次世界大戦後に、戦勝国家が敗戦国家を解放させるということが起こりま した。これは、兄の立場から弟を打ったので、弟に福を祈ってあげなければ、来られる父母から罰を受けるので、そのような通常とは異なる歴史的現象が起こっ てきたのです。歴史が願いつつ求めてきたことは、真の父母に出会うことです。宗教が出てくるのも、真の父母に出会うためです。世界が出てくるのも、国が出 てくるのも、真の父母を求めるためです。真の父母の道を備えるために出てくるのです。


7 真の父母は全体の希望の象徴です。堕落した人類の前に、絶対的な希望の象徴です。それは歴史的な緒実体であり、時代的な中心であり、世界の国家圏の中心 です。真の父母は、理想世界に連結される未来線上における出発点です。それでは、(古い)歴史時代の先祖たちは何を願うのでしょうか。統一の世界は誰と出会うこと を願うのでしょうか。真の父母と出会うことを願います。言い換えれば、真の父母と永遠に相まみえようとするのです。


8「真の父母」という言葉は、(古い)歴史時代において、誰も呼び求めてみることができず、誰も考えることができませんでした。しかし、私たちは、呼び求めること ができ、知ることができ、侍ることができる栄光の位置に立っています。このように私たちは、(今日までの)歴史時代の誰よりも幸福な位置に立っており、誰よりも高貴な位置に立っています。真の父母という名称とともに、歴史は今まで苦労してきたのであり、真の父母の勝利の基盤を備えるために、歴史的な数多くの犠牲の代価を 払ったことを考えるとき、真の父母という言葉こそ、人類には、福の中の福の言葉なのです。


真の父母によって歴史が治められ、真の父母によって新たな世界に戻り得る起源が生じ、真の父母によってサタンを屈服させ得る内的な関係が決定し、真の父母 によって外的な世界を占領しているサタンを征服して、初めて神様を解怨成就してさしあげられる中心が決定するのです。ですから、真の父母と共に生き、真の 父母の命令を受けて行動できる、この驚くべき患みに感謝しなければなりません。


9 真の父母は、人類歴史の最高の希望の存在です。歴史の最高の勝利の基台です。いかなる民族も求めるべき歴史の希望の中心点です。歴史の望むところは、国でもなく、世界でもありません。外的には、国や世界のように見えますが、外的世界だけでは解決できません。神様の摂理は、世界を救うことが目的ですが、世 界を救おうとすれば、善の父母がこの地上に来て、完全な基台をつくらなければなりません。こうならなければ、国家や世界を救う完全な道は生じません。


ですから、歴史全体の希望は、国でもなく、世界でもありません。真の父母です。ここでは、民族観や、世界観は認められません。民族観も、父母の血統を受け継いだのちに立てられなければなりません。それができたのちに、氏族を編成しなければならず、民族を編成しなければならず、世界を復帰しなければなりませ ん。父母がいなければ何もありません。真の父母を迎えなければ、何も始まりません。


10 歴史は、何を求めてきたのでしょうか。時代は、何を求めてきたのでしょうか。未来は、何を求めなければならないのでしょうか。真の父母です。全体がこ こに帰結しなければ、歴史過程や宇宙の中から幸せの基準を探してみることができません。


愛の起源は、本来神様と人間を中心として、縦的・横的基盤がすべて同じでなければなりません。違ってしまったこの基盤を同じにすることが堕落した人類の願いです。このような点で、キリスト教では、イエス様を中心として新郎新婦の関係を結んできたのです。


11 私たちは、目的を千年後の未来に求めるのではありません。私たちの求める目的も、未来の子孫たちが求める目的も、過去に求めるのです。それが(堕落していない)真の父母です。これは過去のものであり、現在のものであり、未来のものです。これは永遠のものです。皆さんは、この理念を中心として近づく世界を歓迎ばかりしてい てはいけません。真の父母を慕いながら、侍っていかなければなりません。したがって、今日、この時代圏内にいる皆さんは、現在に暮らしていますが、過去の 結実であり、未来の起源にならなければなりません。この三時代が一つにならなければならないのです。後ろには過去、前には未来を統合させることができる、 現在の自分にならなければなりません。


それでは、何をもって統合するのでしょうか。真の父母の愛で統合させなければなりません。誰に統合させるのでしょうか。息子、娘に統合させなければなりません。その息子、娘は、真の父母の愛を中心とする息子、娘です。言い換えれば、堕落していないアダムとエバが生んだ息子、娘と同じです。ここから天国の息子、娘になることができます。したがって、三時代の愛の関係をもって生まれた位置が、真の父母の息子、娘になる位置です。たとえ人間が堕落したとしても、 歴史過程を逆に上がっていき、その位置を取り戻さなければなりません。


12 亡くなったと思っていた、本性を中心とする本然の父母がよみがえる、その道を「私」が開拓するためには、言葉で表現できない精誠を込めなければなりま せん。また、誰よりも、天の悲しみに胸が引き裂かれるほど心を痛め、無念さと悔しさを感じる、その位置で忠誠を尽くさなければなりません。そのような心をもって、父母がよみがえる道を築かなければなりません。それが子女の道理であり、孝子の位置に立つことです。これが私たちの責任です。ですから、生死を意に介することなく、この道を開拓しなければなりません。世の中の良いことと、世の中の迫害と、死の道も意に介することなく、この道を開拓するために忠孝の 心をもたなければなりません。



真の父母の息子、娘になるということ


13 今日、私たちが生きているこの世界に真の父母を迎えましたが、この地には、真の父母の息子、娘だけが生きているのではなく、堕落した父母の息子、娘も 生きています。


本来は、真の父母の血肉を通して、神様の愛する息子、娘になるはずだったのですが、堕落により、堕落した息子、娘になってしまいました。それで、その人類 始祖の過ちを解怨成就してあげるために、再び来られる父母が、再臨主であり、救世主です。


14 イエス様は、堕落していない真の父母でした。真の父母の使命をもって来ました。人間の先祖、アダムとエバは、堕落することによって堕落の血統をつ くってしまいました。彼らは、神様が望む本然の理想世界、堕落していない世界で、神様と一体になって神様の直系の血統を受けた息子、娘を生むべき真の父母 になることができず、サタンと因縁を結び、死んだ子を生んだサタンの頭になったのです。したがって、今日、人類はすべて、偽りの父母に出会いました。です から、偽りの父母の血統を否定して、真の父母に出会わなければなりません。


15 堕落は、悪魔の偽りの愛と、偽りの生命と、偽りの血統が蒔かれたことです。人には、愛があります。生命があります。先祖から受け継いだ血統がありま す。ですから、一人の人は、歴史の始めの先祖から受け継いだ愛の結実であり、生命の結実であり、血統の結実です。サタンの愛と、サタンの生命と、サタンの 血を受けて、神様の怨讐になり得る立場にいるということです。これを払いのけて脱ぎ捨てなければ、地上に平和はやって来ません。それで、先生が真の父母の 理想をもって来たのです。真の父母は、この偽りの愛をきれいに清算して、個人、家庭、氏族、民族、国家が分立できるよう、平和と反対となる悪魔の要素をき れいに清算するために闘争するのです。


16 キリスト教が世界的な版図を形成するまで、どれほどの犠牲の代価を払ったか分かりません。殉教の祭壇で絶えず犠牲になることによって、その悲惨な叫び 声が地球上に響き、その泣き声の聞こえなかった所がないほどになりました。その血の祭壇が連続し、今日、目前にまで到達した歴史的な恨が絡まっているので す。これを受け継いで解怨すべき、厳粛なる歴史的な課題を抱いている私たちは、神様を解放し、キリスト教を解放しなければなりません。キリスト教を立てて 以来、今までキリスト教がどれほど悲惨な歴史を経てきましたか。これを解放しなければなりません。天宙を代表した天地の主体の国として、主体の宗教とし て、人類を収拾するばかりでなく、後代の千秋万代に勝利した王子権である長子権を賦与されなければなりません。


17 人間の願いとは何でしょうか。人間の理想や希望というものは何でしょうか。どこに帰結するのでしょうか。その第一が何ですか。神様の息子、娘になるこ とが、人間の最大の希望とならざるを得ません。その次は、神様から愛される息子、娘になることです。その次には、神様のすべての存在を「私」が相続するこ とです。それ以上はないのです。人間の願いは、神様の息子、娘になること、神様から愛される息子、娘になること、神様のすべての存在を相統する息子、娘に なることです。


18 幸せとは何でしょうか。父母を失ってしまった孤児のような民が、六千年目に父母と巡り合うことです。これ以上に喜ばしいことがどこにありますか。宗教をもつことは、このような父母と巡り合うことに加担することです。永遠に死んだと思っていたのに、その死んだ父母が生きることができるというのです。父母が生きることができるのなら、私たちは、手段と方法を選ぶことができません。父母と出会うのに、財産が問題ですか。親戚が問題ですか。国が、世界が問題ですか。何も問題になりません。すべてを後回しにして、父母と出会うために、あらゆる精誠を尽くさなければなりません。


19 神様は、愛する真の息子と娘を、愛を存分に与えたいと思っていた子女を失ってしまいました。男女関係から見れば、神様を中心とする夫婦を失ってしまい ました。そして、子女として見れば、真の父母を失ってしまいました。一つの堕落行為で、この三つをすべて奪われました。どのようにしてこの三つの心情を、 蕩減復帰原則によって一度に蕩減し、神様が認める基準を立てるか、ということが問題です。まず神様のみ前に真の息子、真の娘として、神様が愛し得る基準を 復帰し、その過程を通過して結婚の適齢期になれば、神様の愛を中心とする夫婦として結合し、そこで再び、神様が喜ばれ、神様が願われる四位基台を造成する ために、善の子女を生まなければならないのです。


20 人類の希望は、真の父母に出会うことです。歴史の結実は、真の父母に出会うことであり、時代の中心は、真の父母に出会うことであり、未来の出発の基地 は、真の父母に出会うことです。そこに接ぎ木された皆さんは、枝になるのです。


今まで、歴史時代の願いは、すべて未来にありました。しかし、皆さんの一生を中心とする真の父母との縁は、永遠に一時しかありません。一度しかない貴いも のです。先祖たちももてなかったのであり、子孫たちももてないのです。皆さんの希望は、ほかにあるのではありません。真の父母の息子、娘になることです。 真の父母の息子、娘になって、真の孝子、真の孝女になることです。その真の父母が、今後、天下を中心として、地上の万王の王になります。ですから、人類の希望や歴史の希望や時代の希望など、そのすべての希望の中心が結実できるところがここです。皆さんの希望は、ほかにあるのではありません。


21 今日、万民が願うこととは何でしょうか。世界や国家を求める前に、真の父母を迎えることです。また、未来の子孫たちは誰から出発したいと思うのでしょうか。皆さんの息子、娘は、真の父母の血統を通して生まれたいと思うのです。ですから、真の父母は、新たな未来の出発点になるのです。真の父母を完全に愛そうとする人は、世界を本当に愛そうという人であり、真の父母を完全に愛することができる人は、未来世界の子孫たちまで愛することができる価値をもった人 です。したがって、真の父母の愛を受けるために自らの生命をすべて捧げて犠牲にしても感謝できなければなりません。そのような人は、真の父母の愛を相統するのに不足がないのです。


22 人間は、神様から造られて生まれましたが、神様の息子、娘としての振る舞いができません。その第一は、神様が人間を息子、娘として愛することができないことです。神様が人間を愛することができず、また人間は、神様の息子、娘として愛を受けることができないのです。第二には、神様の愛を受ける息子、娘として聖婚式ができず、第三には、彼らが神様の愛を中心とする天の家庭を築くことができずにいるということです。この三つを彼ら(※人間始祖アダムとエバ)がすべて成し遂げていれば、 人間は、今日のように悲惨になっていなかったはずです。


ですから、最後に私たちが行って再会すべき所、最後に私たちが行ってとどまるべき所、そこを求めていかなければなりません。世界の国々が本然の祖国を求め なければならず、世界の数多くの人間が、本来の自分の故郷、本郷を求めなければならず、数多くの氏族たちが本来の父母を求めなければなりません。これが、 今まで神様が摂理してこられた目的です。


23 救援とは、本然の状態に戻ることです。それでは、本然の状態に復帰するにも基準があるはずですが、その基準とは何でしょうか。人間は男性だけがいるの ではなく、また女性だけがいるのでもありません。したがって、復帰の第一基準は、神様の息子や娘になるだけではなく、子女の位置を経て、夫婦の関係を結び、真の父母となって新しい血族を立てることです。これが人間の創造目的であり、人類歴史の新しい出発基準になります。ですから、国や民族、氏族が問題で はありません。また、息子、娘が問題ではありません。人類にとって最も問題になることは、人類の前に必ず存在しなければならない真の父母、神様が実体として顕現なさる真の父母を決定することです。真の父母をどのようにして決定するかということが、人類の最高の問題であると同時に、目的だというのです。


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第1節全体を読めば「真の父母」の必要性と、「(古い)歴史時代」はその父母を求めてきたということでした。


そして、次の子羊さんの『真の父母経』引用へと続きます。

赤・真の父母経 第五篇 第二章 第一節 


27  私たちは、一九六〇年を中心として新しい勝利の基盤を準備することができました。すなわち、二千年前にイエス様が願った基準を、この地上で復帰できる摂理 の基盤を準備したというのです。このような途方もない歴史的な基点が準備できたので、(※5)一九六〇年から新しい歴史時代に入るようになりました。


「(古い)歴史時代」が過ぎ去り、「一九六〇年から『新しい歴史時代』に入るようになりました」。

1960年、文・韓総裁の聖婚式によって、「(古い)歴史時代」が過ぎ去り、「一九六〇年から『新しい歴史時代』に入るようになりました」。「真の父母」が人類歴史始まって以来、初めて誕生した瞬間でした。


これを信じますか?