peace2のブログ

韓国ニュースを中心に紹介しています。

【追記あり】諸星くると氏の「真の父母様本体論」の正体(陰陽説)見破ったり!!

「20ドル紙幣のデマ」を継ぎ足してこんにちのサンクチュアリ教会があります。先ずもってサンクチュアリ教会の亨進牧師からの「夜昼の神様論」そのものが、文総裁が語られていたみ言「夜の神様、昼の神様」の英語訳の誤訳からであったは既に自称ルポライターtomy4509は、亨進牧師は韓国語は余り堪能ではないことをもって検証していました。


【複製・ブンコさんへ】「天のお母様」のスカートを掴まれた16歳・文龍明青年は……(その4) | peaceのブログ

 皆さん、おはようございます。

 私はお父様から武術について語るようご指示を受けました。非常にありがたいことに、お父様は私が英語で語ることを許可してくださいました。

 ……


その「20ドル紙幣のデマ」を主導している一人が諸星くると氏のブログ記事です。今回も例外にもれずのそれでした。



「神様自体内で実存となって一体化していた本性相(男性分野)と本形状(女性分野)を、それぞれ構成している陽性陰性を象徴的に取り出して、一つ一つの万物として合成し、森羅万象の万物で造りあげられる被造世界として展開したのです。」


…(略)…


  *****


「本然世界に展開する真の父母様の本体論」入門編は、2021年12月1日の初版発行です。ですから、2023年1月に世界平和統一聖殿から発刊された日本語訳「原理原本」は出ていませんでした。


そこで、この冊子に引用した原理原本の次の文章は、韓国の金正燮氏が2019年2月9日に初版発行している、ほぼ機械翻訳のような「原理原本」です。


原理原本 第1巻 「1.一つから全存在で」より

したがって、創造というのは、神の性品と二性、すなわち男性と女性はすぐに陽性陰性自体を無限小で無限大に至るまで広げたのが、この天宙の本当の状態である。だから、どのような存在体もこの性品をどこからでも見ることができるのが天理である。


この部分に当たる文章を、世界平和統一聖殿発行の日本語訳「原理原本」pp.16~17から引用します。この引用部分の7行前からの引用です。


  **引用開始**

原理原本 序章「一」から全存在へ pp.16~17


 実体世界(有形世界)は人間と万物の展開を意味する。この有形世界は、無形世界を表示する影体(自らが反影した実体)として発展させようとするものであり、それがすなわち創造の意義である。これを簡単に表示すれば、「神=人間+万物」ということになる。神自体は「一」だが、性としては両性であり、この「一」それ自体である自我(神)を複数体系として展開したということが創造の根本意義なのである。


 そして、「実体世界+人間」と「無形世界+神」とが相対となり、すべてに共通する神の本意軌道として、この無から有へと完全授受する路程によって完全対象存在の目的を達成する。したがって創造というものは、神の二性の性品、すなわち男性と女性、すなわち陽性と陰性それ自体を無限小から無限大にまで展開することであり、それが天宙の真状(真実の状態・状況)である。



  **引用終了**


この日本語訳「原理原本」p.17に記されている「神自体は『一』だが、性としては両性であり、」という文に表示されている「両性」を読んで、あなたの心には何が思い浮かんだでしょうか。たいていは「両性」と言えば、男性と女性と思うでしょう。でも、よく読み砕いてみてください。


この文の時点では、神様の「二性性相の本性相と本形状」そのおのおのの属性としての「本陽性と本陰性」のことです。次の段落の文の中に、「両性の性品」と表現されて、初めてその二性の性品は男性と女性なのだということを解説しているのです。


その男性的性品と女性的性品を天宙に展開するために、陽性と陰性のエネルギーを無限小から無限大へと展開したという意味で受け止めることが、真のお父様の込めた真意です。


なぜなら、原理講論に、次のように解説されていることから分るでしょう。


「本来、神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の相対関係をもって現象化するので、神の本陽性と本陰性は、各々本性相と本形状との属性である。」


つまり、全ての本質は陽性と陰性の関係性にあるのではなく、性相と形状の関係性にあるのです。ですから、なぜ男性を陽性実体と呼び、女性を陰性実体と呼ぶのかを理解していなければ、神様は男性と女性と両方の性質を備え、父であり母であると解釈せざるを得なくなるのです。


さて、これらを要約すれば「両性」は「男女」の二性を差してのもではなく「性相と形状」を差してのものだということでした。ところが、「神様自体内で実存となって一体化していた本性相(男性分野)と本形状(女性分野)」を取り上げては「性相・形状」と「陽性・陰性」を重ね合わせて見てしまった大罪を犯していました


文章はそうなっていますが、カッコは文総裁が語られたものではなく後から付け足された歪曲文章です。


<工事中続き。7月29日追記>


お父様み言やこんにち家庭連合では神様呼称を「天の父母様」と呼んでいます。神様のなかにも両性(父母)があったということですが、サンクチュアリはそれを批判・否定していましたし、それを諸星氏は詭弁を駆使してそれを代弁しようとしてのものでした。


原理講論からは、神様における「本陽性(男性)・本陰性(女性)」は「本性相・本形状」の属性ですから、正しくは


「神様自体内で実存となって一体化した(中和体としての)本性相(属性としての男性分野と女性分野)と本形状(属性としての男性分野と女性分野)」


と解釈すべきです。


諸星氏記事本文には「四大心情圏と三大王権1993年12月21日16万人日本女性特別幹部修練会」からの引用もありました。

四大心情圏と三大王権1993年12月21日16万人日本女性特別幹部修練会

旦那さんは何かというと、神の無形実体圏にあった性相が男であり、形状が女だったのです。その男と女が愛でもって一つになっていた双子なのです。双子だから通じるようになっているし、一つになれるようになっているのです。男、女は別々に生まれても、会った場合には一つになれるようになっているのです。教えなくても一つになるような引力作用があるのです。」

一方、これに対しての自称ルポライターtomy4509諸星氏ブログのコメント欄にてしていました。それをまた整理した「コメント・メモ」記事として紹介していたのが以下でした。


15.


>諸星くるとさん

引用された「四大心情圏と三大王権1993年12月21日16万人日本女性特別幹部修練会」をよくお読みください。

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旦那さん(神様)は何かというと、神の無形実体圏にあった性相が男(=神の本性相的男性)であり、形状が女(=神の本形状的女性)だったのです。その男(=神の本性相的男性)と女(=神の本形状的女性)愛でもって一つになっていた双子(=中和体)なのです。双子だから通じるようになっているし、一つになれるようになっているのです。男、女は別々に生まれても、会った場合には一つになれるようになっているのです。教えなくても一つになるような引力作用があるのです。

-----


(※ 神様自体内において「愛によって一体」となっていたものが分かれて出てきたのが被造物(双子、二性性相)ですから、「正分合作用」によって一つとなることは至極当然のことです。)


それに続く一文が以下です。


-----

 【その双子を展開したのが】アダムとエバです。神の無形実体圏で性相(=神の本性相的男性)と形状(=神の本形状的女性)の一つになっていたものが分かれて生まれてきたのだから双子と同じなのです。旦那さん(=神様)が元々、双子であったということを考えたことがありますか? そのことを今からは知らなければなりません。ずーっと昔、双子であったのです。夫婦という因縁は、アダム・エバの双子でもって、こういうふうにアダム・エバから始まったということは、これはもう否定できません。それから、その双子が兄妹になるのです。

-----<引用終わり


このように旦那さんは神様のことであり、原理講論P.48の以下の説明文でしかありません。

----->

(被造物はすべて、無形の主体としていまし給う神の二性性相に似た実体に分立された、神の実体対象であることが分かった。このような実体対象を、我々は個性真理体と称する。…)(※ 被造政界の)個性真理体は、このように神の二性性相に似た実体として分立されたものであるがゆえに、それらは、【神の本性相的男性】に似た陽性の実体(男子)と、その【(神の)本形状的女性】に似た陰性の実体(女子)とに分立される。さらに、このように分立された個性真理体は、すべて神の実体対象ともなるので、それらは各自、神の本性相と本形状に似て、それ自体の内に性相と形状の二性性相を備えるようになり、それにつれて、陽性と陰性の二性性相を、共に備えるようになる。

-----<引用終わり


くるとさん、もう一度お伺いします。


>真のお父様は性相が男性であり、形状が女性であると語っています。

-----

原理講論の何処にそのようなことが書かれていますか?

また、この原理を覆すお父様のみ言葉がどこにあるというのですか。教えてください。


peace 2023-01-31 03:09:19

なるほど、16万女性修練会では「旦那さん=神様」の話もあったでしょう。しかしながら、修練会では終始「神様=旦那さん」というものでなかったことはこの「コメント・メモ」でも反論していました。普通に参加された夫人の「旦那さん」を指されてのこともありましたし、創造理想を完成した「旦那さん=再臨主」の場合もあったということです。故に、諸星氏は「>真のお父様は性相が男性であり、形状が女性であると語っています。」と反論してきましたが、「原理講論の何処にそれが書かれているのか、また、この原理を覆すお父様のみ言葉がどこにあるというのですか。教えてください。」
の質問には回答はありませんでした。


また、諸星氏のご都合主義から『黒・天聖経』・「宇宙の根本」からの引用を挙げていました。

宇宙の根本 第1章 宇宙の根本秩序 1) 神様の二性性相の大展開

「神様は何のために、どのように生まれたのでしょうか。愛によって生まれました。宇宙の根本は、どのようになされたのでしょうか。愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。何を中心としてそのようになっているのでしょうか。愛を中心として形成されます。皆さんと同じです。父母の愛によって受けた皆さんの生命の種、一つの細胞が大きくなって今の皆さんが生まれてきたのと同じように、神様もそのように大きくなったというのです。神様も、目が生じ、鼻が生じてこのように生まれました。全く同じだというのです。」(207-27,1990.10.21)


私たちが母の胎内で受精され、胎中期間を経て誕生し、赤ん坊から幼年・少年・青年を経て成人していくと同じような成長を経て、父なる神様となったと語られているのです。


取り上げた原理原本のみ言を、もう一度読んでください。み言の最初のほうで「神の性稟(品)と二性」と解説していますが、締めくくりの部分は「性稟(品)を(※ 被造世界の)どこからでも見ることができるのが天理である。」となっています。

諸星氏のご都合主義と言いましたが、都合の悪いみ言葉は隠蔽してのそれだということす。「宇宙の根本」の冒頭を全く無視していました。


第一章 宇宙の根本秩序


一、神様の二性性相の大展開


 1.神様は二性性相の中和体


 宇宙を観察してみれば、すべての存在において、陽性と陰性の二性性相が相対的関係を結ぶことによって存在していることを知ることができます。これは、鉱物という次元から始まって、すべての場合に適用されています。分子は、陽イオンと陰イオンの結合を通して形成され、植物の場合、生存と繁殖は雌雄を代表する雌しべと雄しべの結合を通じて成されます。このような二性性相は、動物の場合より一層明らかです。魚類、鳥類、ほ乳動物等、すべての動物は雄と雌によって存在します。最後に、神様の最高の創造物である私たち人間も、男性と女性で区分されています。最初の男性アダムと最初の女性エバは、人類の始祖です。このような二性性相の存在目的は、何ですか。神様は、なぜこのような方式によって創造されたのでしょうか。


              *


 神様が男性と女性を造られて何をしようとされたのでしょうか。見ようとされたのです。神様は、女性ですか、男性ですか。女性にもなり、男性にもなられます。男性性稟だけをもっているとするなら、女性だけを見つめられるようになるのです。アダムは、陰で生きなければなりません。そのように、女性も見つめて男性も見つめることができる二種類の性稟を、共に備えていらっしゃいます。ですから、結局縦的な立場に立ち、男性も好まれ女性も好まれる、二性性相をもった中和的主体だというのです。それが神様でいらっしゃいます。男性も必要であり、女性も必要であり、どこへでも行って迎え入れ、いつでも主体の位置にいらっしゃるので主体格です。それゆえに、格位では男性格位です。そして、横的というものは女性格位をいうのです。

16万女性修練会での『「旦那さん=神様」は双子だった』という文総裁み言も衝撃的なものでしたが、「夜の神様、昼の神様」は「双子」という発想も出てきそうなものです。


諸星氏(別名:シムソン氏)には「夜の神様、昼の神様」に関しては、「上弦・下弦」の話も過去にはしていました。



上弦・下弦が別々では完成した「円」(完成体)にはなりません。右弦・左弦、前弦・後弦にしても同様です。


そして、諸星氏記事最後を飾ったのが「統一思想要綱」の一文でした。

なぜなら、原理講論に、次のように解説されていることから分るでしょう。


「本来、神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の相対関係をもって現象化するので、神の本陽性と本陰性は、各々本性相と本形状との属性である。」


つまり、全ての本質は陽性と陰性の関係性にあるのではなく、性相と形状の関係性にあるのです。ですから、なぜ男性を陽性実体と呼び、女性を陰性実体と呼ぶのかを理解していなければ、神様は男性と女性と両方の性質を備え、父であり母であると解釈せざるを得なくなるのです。


このことについて、「統一思想要網1993年版」では「陽性と陰性は実体ではなく、属性でしかありえない。たとえば男は陽そのものの実体ではなく、女も陰そのものの実体ではない。」と断言したところから、なぜ、男を陽性実体、女を陰性実体と呼んでいるかを説明しているのです。(注:現在の統一思想院では、「統一思想では男子を『陽性実体』、女子を『陰性実体』という。」という表現に置き換えて解説しています。天の父母様という呼び方を意義付ける為に改編したのでしょう。)


統一思想要網 第1章 原相論より引用開始

「男も女も、性相と形状(心と身体)をもった実体であって、それが一方においては陽性を帯びており、他方においては陰性を帯びているのである。つまり男は陽的な性相・形状の実体(陽性実体)であり、女は陰的な性相・形状の実体(陰性実体)なのである。それは次の事を意味する。形状面においては、男も女も陽的要素と陰的要素を持っているが、男は陽的要素をより多く備え、女は陰的要素をより多く備えているのであり、これは量的な差異であるということができる。性相面においては、男も女も陽的要素と陰的要素をもっているが、その陽陰に質的な差異があるために、男は男らしさ、女は女らしさを備えているのである。


つまり、単なる陽性実体・陰性実体ではなく、男も女も本質的には「性相と形状の実体」であって、陽的要素が多いか、陰的要素が多いかの違いなのです。

これに続く一文は、諸星くると氏の「真の父母様本体論」からの内容になると思います。

ですから、神様の本陽性をそのまま男性とし、本陰性をそのまま女性として創造したのではないのです。神様が抱いた愛の対象としての女性像は、本性相と本形状の関係性において覚醒を得たことから、神様自身が愛により生まれたと自覚したことに始まるのです。

そして、冒頭にあげた引用文に戻るということらしいです。

「神様自体内で実存となって一体化していた本性相(男性分野)と本形状(女性分野)を、それぞれ構成している陽性陰性を象徴的に取り出して、一つ一つの万物として合成し、森羅万象の万物で造りあげられる被造世界として展開したのです。」







統一思想要綱から「実体」の用語として見逃してならないことは

ここで統一思想の実体の概念について説明する。統一思想の実体は、もちろん統一原理の実体の概念に由来するものである。統一原理には「実体基台」、「実体献祭」、「実体聖殿」、「実体世界」、「実体相」、「実体対象」、「実体路程」など、実体と関連した用語が多く使われているが、そこで実体とは、被造物、個体、肉身をもった人間、物質的存在などの意味をもつ用語である。

ということ、つまりは、結果世界を取り上げていました。原理講論からは人間に対しては神様により似た存在として「形象的個性真理体」、ほか被造物に対しては「象徴的個性真理体」であると書かれていました。

▲「統一思想要綱」P.42から。