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ほふられた子羊さんへ



 あなたのコメント履歴

2022/11/26 11:51

いまの統一教会問題の根源 ☞☞ 1967年の御言葉『一度倒れれば再び立ち上がって行くことはできない』


>子羊さんへ


> 文先生とお母様にあった「アブラハムによるイエスの典型路程」と「妾摂理」を理解した者でなければ、この考察は空洞化します。


これに関しては私からは何度もコメントしてきたものでした。「アブラハムによるイエスの典型路程」、あなたは特には象徴献祭前やイサク献祭前に妻サラがサタン側の王の元に行き復帰されたことを強調されては「妾摂理」を説かれていました。しかしながら、「典型路程」ともなればモーセ路程にあっても然るべきですがそれがどこにあるかを問うていました。加えて、イエス路程でも結婚相手も分からないままに十字架で亡くなられました。


ところが、16万女性修練会から「妾摂理(?)」といって持ち出されたのがあなたの理論です。文総裁が言われた「妾」とは誰のことでしょうか? 妾があれば本妻は? です。

独生子(真の父)は一人です。それに相対する独生女(真の母)も一人でしかありません。アダムに対してはエバ、イエス様に対しては聖霊、再臨に際しても「小羊の婚宴」(1960年)は一組の「善の父母」しかない、というのが『原理講論』の記述です。そこからどのように善の子女(血統)を生み増やしてきたかというものでした。


> おそらく、貴殿には、天聖経にもある「アブラハムによるイエスの典型路程」を受け入れることができていないのでしょうね。


まるで進化論のような突然変異ともいうべきあなたの空論の「アブラハムによるイエスの典型路程」など誰が理解、受け入れることが出来るでしょうか。注釈などといった「色眼鏡」をかけてしか見ることが出来ない世界(空想)です。


私からの質問にハッキリと応えてください。典型路程といわれるからにはモーセにもイエス様にもあって然るべきものですが、どこにそれがあるかです。


それに応えられないから何度も私からの質問を削除されてきたのでしょ!!!

今回も同じですかね。


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御言葉の「父母が堕落した」とは誰のことを言っているのでしょうか??教えてください。

六千年前のアダムとエバのことですか??あなたの肉親ですか??

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あなたの注釈でゆがめられた歪曲解釈にすぎません。人類の父母となるべきアダムエバが堕落した、人類はその末裔です。人類歴史(神様の救援歴史)はその「真の父母」を求めてきたものでした。それが再堕落ともなれば原理そのものが根底から崩れてしまいます。創造原理の絶対性は原理講論にも記載されています。

復帰摂理でも延長は三数原理があります。


原理講論・アブラハム路程から

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第三に、アダムは、直接に献祭はできなかったけれども、摂理的に見て、ノアは、アダムと同じ立場におりながら、蘇生「象徴献祭」に成功したアベルの心情の基台の上にあったため、箱舟をもって、直接「象徴献祭」をすることができた。このように、アブラハムは、蘇生「象徴献祭」に成功したアベルの基台と、長成「象徴献祭」に成功したノアの基台の上で召されたことから、完成「象徴献祭」をすることができたのである。それゆえ、アブラハムは「象徴献祭」に失敗したけれども、神はアベルやノアが、「象徴献祭」に成功した歴史的な心情の基台を条件として彼を再び立てて、もう一度献祭をせしめることができたのである。


アブラハムは、イサクを供え物としてささげるときにも、「象徴献祭」をささげたときと同じように、まず、アダムの家庭を復帰する象徴的な蕩減条件を立てて、イサク献祭のための信仰を立てなければならなかった。ゆえに、再びアブラハムは自分の妻サラと兄妹の立場に立って、サラをゲラルの王アビメレクに奪われ、いったん、彼の妻になった立場から、再び取り戻すという摂理が行われた。アブラハムは、このときも、サラと共に人類を象徴する男女の奴隷と、万物世界を象徴する財物を取り戻して出てきたのである(創二〇・1〜16)。

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この時はサラだけでなく「人類を象徴する男女の奴隷と、万物世界を象徴する財物を取り戻して出てきた」とあります。1992年になってはじめて公的に「真の父母宣布」をされましたが、このような基台を準備されてのものでした。しかしながら、あなたの主張は1992年が「父母が堕落した」というものでした。その上での16万修練会でもありました。

明らかに本妻はお母様、妾はその祝福家庭の夫人らです。


2022/11/26 21:07

>ほふられた子羊さんへ


原理講論は基本中の基本です。まずは、私からの質問が先です。

「アブラハムによるイエスの典型路程」についてですが、妻サラが一旦はサタン側の王のところへ行きそれを取り戻したはアブラハム路程にあって、モーセ路程やイエス路程には見当たりません。それの何処が「典型路程」だと言えるのですか?

にもかかわらず、子羊さんは文先生とお母様にあった「アブラハムによるイエスの典型路程」と「妾摂理」だとか言っておられるようですが、その原理講論との矛盾点についての指摘をしてきました。それの説明がつかなければ、やはり、あなたのそれは「空論」、「空洞化」したものです。


私のコメント削除前にお応え願います。回答無しの削除はあなたの仮説が間違いであったことを証明することになるでしょう。


2022/11/27 01:39

>ほふられた子羊さんへ


原理講論は基本中の基本です。

寝言もいい加減にしてください。


> アブラハムによるイエスの典型路程はモーセがいくとは原理講論には記されていませんから、モーセにはないのは当然です。原理講論にはイエスがいく典型路程とあります。

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というあなたの主張ですが、原理講論は読まれていないのですか?


■アブラハム路程=イエス様の象徴的路程

■モーセ路程=イエス様の形象的路程

■イエス様=実体的路程(十字架で挫折)

  ⇒再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程


このことの説明を私から求めていました。

モーセの奥さんはチッポラでしたね。異邦人の奥さんでした。結局最後は彼女を元の所へ返したでしょう。アブラハムとは真逆です。


「アブラハムによるイエスの典型路程」といわれるからにはモーセ路程でも同じことが繰り返されなければ【典型路程】とは言えません。明らかに原理講論と矛盾します。アブラハムの三種の供え物も蘇生・長成・完成がすべてそろってです。あなたのそれはアブラハムと再臨主に梯子(あなた独自の注釈付き解釈)でつないだものでしかありません。あるいは「砂上の楼閣」という表現もあります。




2022/11/27 08:30
>ほふられた子羊さんへ


昨日の『奇知外記』のアクセスレポートから以下の記事がベストテンに入っていました。


◆「独生女(19)-- 統一原理にも記載されていたエバ(独生女)復帰」(2017.01.15)
https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201701150001/


その後半部分(「さて、話を元に戻そう。」から)をお読みください。


特には何故アブラハム路程でサラのような出来事が必要だったかは、原理講論からの引用で明白にしていました。
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原理講論P.318
アブラハムは、第二人間始祖たるノアの立場を復帰しなければならなかった。したがって、またアダムの立場にも立たなければならないので、彼は「象徴献祭」をする前に、アダムの家庭の立場を復帰する象徴的蕩減条件を、初めに立てなければならなかった。
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「第二人間始祖たるノアの立場を復帰」、「アダムの家庭の立場を復帰する象徴的蕩減条件」を初めに立てる必要があったからでした。つまりは、「復帰基台摂理時代」から「復帰摂理時代」へと移行していくためのものでした。ここで注目すべき点は、「アダムひとり」とはなっておらず「アダムの家庭」(アダムとエバ)です。アブラハムの象徴献祭は失敗しましたが、イサク・ヤコブの三代を経て勝利することが出来ました。一旦勝利した天の基台はそのまま残っていきますので再び立てる必要はなくなります。原理講論では「時代的恩恵」といった言葉でも表現されていました。
モーセ路程にもイエス路程にもそれがないのは、このこと故です。まして、あなたの主張される『文先生とお母様にあった「アブラハムによるイエスの典型路程」と「妾摂理」』などあろうはずがありません。


原理講論は基本中の基本です。
論点が合わないからといって原理講論を無視してのあなたの主張は空洞化したものです。あなたの根底にあるそれが崩れ去った今となっては、虚しさだけが通り過ぎていきます。
「韓国に住んでいるなら」といわれても私は住んだこともありませんし、噂話であって文総裁自らがそれを否定していました。


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2022/11/27 21:10 魚拓

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【参照記事】