一郎さんへ--歴史はアダムだけでなく「神様の妻」となるべきエバも復帰!!
本論に入る前に、あなたの氏名公開してのブログ記事がどれだけのものか、確認をしておきましょう。
犬の遠吠えのような中傷記事は削除されています。
・https://morison30000.muragon.com/entry/986.html
・https://morison30000.muragon.com/entry/987.html
・https://morison30000.muragon.com/entry/988.html
名前を出されて書かれる「森一郎さん」ですから、しっかりと回答をお願いします。
過去にはサンクチュアリ資料から「お母様の右手が上か下か」は、一郎さんにも質問していたはずですが(「森一郎さんのブログ記事から--一つの間違いから別の間違いを!!」、2019.02.15)、その時はあなたからの回答はありませんでした。
再度、私からの質問です。今回は「逃避」はされないでしょうね。
名(一郎さん)を挙げてサンクの看板を出されておられる方ともなれば、この間違いに対しても無視するわけにはいかないだろう。一つの間違ったことから、別の間違いを導き出しているのだから。
…(略)…
お父様の「独生女」み言は「Yes」であれば、お母様「独生女」も「Yes」でなければならない。
お父様「Yes」お母様「No」の結論は、お父様も「No」が森一郎さんの回答であった。
さて、一郎さん記事のリブログ・本論(その1)です。
先ずは、
トミーさんの文章を見ると
統一原理の蕩減復帰原則から見ても、歴史はアダムだけでなく「神様の妻」となるべきエバも復帰されなければならないという結論を一郎さんは書いていました。
あくまでも堕落エバです。
「基元節は「天地人父母様の完成的聖婚式」 - peace2のブログ」ですが、エバが堕落をしなかったならば「神様の妻」となるは、お父様み言でした。
しかしながら、その言葉を否定されたあなた初めとした非原理集団の皆さん方です。言葉だけでその実体がなければ、
お父様はなんのためにこの地上に来られたのでしょうか?
1992年、「メシヤ=再臨主=真の父母」を宣布されましたが、あなたは1992年のその時からお母様は失敗者だといっては、お父様・再臨主までも否定されていました。「お父様に原罪あり、ナシ」以前の問題、お父様自身まで再臨主かどうかであなたは引っかかっています。ならば、お母様についてもどうこうと云う資格すらないはずです。!!
さて一郎さん、
お母様が「堕落エバ」という話ですが、その根拠はどこからですか?
一郎さんならば、これも容易に回答は出来るはずです。
お父様の家門は、お父様15歳まで儒教でしたが、お母様の祖母からお母さん(大母様)、お母様まで三代続きのクリスチャンでした。お母様の選定にあたってのお父様御言にもあるのですが、このお母様でなければだめだというものではなかったでしょうか。特には『真の父母様の生涯路程 ⑩』はお母様についてのみ言が集められていましたが、一郎さんはそれを確認をされて書かれているのでしょうね!!!
以下にその『真の父母様の生涯路程 ⑩』からです。
自称ルポライターtomy4509からは、一部のお父様み言抜粋を紹介しておきます。
真の御父母様の生涯路程 10
真のお母様と世界女性時代
二 真のお母様の選定
十七歳の少女
み旨がなかったならば、先生はお母様と出会うことはできませんでした。お母様になる人は二十歳を越えてはいけません。本来は、十八歳を越えてはいけません。満で十八歳を一日でも過ぎてはいけないのです。エバが十六歳で堕落したので、三年を経て十九歳まで連結されるのです。
二十歳は二十数なので、蘇生、長成、完成を代表します。それゆえに、二千年歴史とは、完成の峠を越えて完成することができる段階を意味しているのです。ですから、二十歳前でなければなりません。お母様の因縁をもった人は、絶対に二十歳を越えてはいけません。父となることができる人がこの地上に生まれ、母を選択する際に立てる条件は、その人が絶対に二十歳を越えてはいけないということです。
お母様は、できるだけ年齢が若いほど良いのです。なぜでしょうか。堕落圏を見れば十代が問題ですが、韓国的な立場から見るとき、年齢が低いほど地上の女性世界の純潔基盤に近いのです。
…(略)…
しかも、先生は二十年間で十二人の息子、娘を生まなければなりません。そのようにしてこそ二千年を蕩減することができるのです。おしりが丈夫で、腰の力があって、毎年次から次へと産んだとしても産めるかどうかだというのに、年を取った人では大変なことになります。ですから、仕方なく、できるだけ年が若く、十六歳以下でも良いと考えたのです。そのように考えていたところ、そこに合致した、雲の上に飛んでいくものを私がさっと捕まえて手に入れたのです。それがお母様です。(笑い、拍手)
絶対従順の相対者
先生は四十歳になって十七歳になる娘と結婚しました。この非常に大きい団体を動かさなければならない責任を担った先生には内助者が必要だったので、大学を出た人もいましたが、お母様を選択しました。行く道がこのような道なので、自分を主張することなく、いかなる死の峠であっても夫のために生命を身代わりすることができる人が必要でした。それゆえに、首を横に振る人の娘は絶対に選びませんでした。
最も底辺において黙って犠牲となり、「また行かなければならない」と心に誓いながら行く人の娘が選ばれました。教会で献身生活をしていたおばさんの娘、高校二年になる娘を選んだのです。摂理的プログラムがそのようになっていたからです。妻を迎えるにしても、私の欲望を中心としては選ばなかったのです。
お母様の母親は、ここに来て家政婦暮らしをしたでしょう? 末端から忠誠を尽くしなさいというのです。その母親は監獄生活をする運命にありましたが、それはすべて福なのです。統一教会は、監獄生活をして、苦労してそこから出てきたとしても恨むことなく、すべて自分が悪かったのだと思って、天の前により一層忠誠を尽くそうとします。そのような面から見れば、すべて復帰原則によって分別してきたのです。
お母様自身も、愛を中心として羊のように従順でなければなりません。すべての面において絶対従順することができる条件を復帰しなければなりません。ですから、夫のために全面的に犠牲とならなければなりません。夫を愛するのに絶対的でなければならないのです。…(略)…神様を取り戻さなければならないので、真なる父を取り戻し、真なる兄を取り戻し、そののちに真なる夫を取り戻さなければならないというのがエバの立場です。それで、そのような女性を選ぼうとしたので、何も分からない、そのような幼い娘を選ばざるを得なかったというのです。
八段階の女性心情圏の伝授
…(略)…
洪順愛大母様との一体圏
…(略)…
お母様の四位基台
誰もがお母様になることができるのではありません。すべての摂理は、エバの役事を中心とした歴史時代におけるすべての摂理と連結させた因縁を中心として出てくるのです。それゆえに、金聖道の代を許孝彬が継ぎ、許孝彬の娘が主を迎えるように準備がなされたのです。それで、十二弟子のような、そのような準備をしたことを見れば、本当に不思議なほどです。
そのようにすべての内外を合わせて主が来られ、三人の女性の協助を受けて結婚式を行うようになるのですが、その時、三人の女性は何かというと、蘇生、長成、完成です。おばあさん、母、娘の三代が一つになったということは、旧約時代、新約時代、成約時代が連結されたということです。そのようになることによって、初めて父母が定着することができる時代に入ってくるのです。
それゆえに、今日、統一教会においても、お母様を中心とした三位基台があるのです。縦的にあった三位基台が横的に展開されるのです。それではどこが中心でしょうか。お母様が中心です。
崔元福氏もそうなのです。しかし崔先生が中心ではありません。お母様が中心です。女性といえば、堕落した女性と堕落していない女性に分けられます。堕落したエバの直系の子孫、それと希望の女性です。希望の女性はイエス様の前に新婦となります。堕落した女性は、イエス様の前における裏切り者です。その裏切り者を導いて許してあげ、カインとしてアベルに仕えさせるのです。それゆえに、崔元福氏も、お母様の行く道を切り開いていかなければなりません。
堕落した母の立場で復帰することができる個人的十字架、家庭的十字架など、すべての十字架を背負って、エバがお父様の前に失敗したすべてのことを蕩減するにおいて、主導的役割をしてあげなければならない万人の女性がいなければならなかったのです。
エバは、愛が何であり、夫が何であるかも知らない時に堕落しました。ですから、それを教育して、天国の王妃として、后として育てていくのです。そのようにしてサタン世界を生かしてあげようとするので、お母様の三位基台を中心とした基準があると同時に、お母様の母親の三位基台がなければなりません。お母様の母親の三位基台であるおばあさん三人をおいて回っていかなければならないのです。
それで老人たち、池承道老人、玉世賢老人、それから李奇完氏、この人たちが一つの家で生活しなければなりません。この三人はどのような人たちかというと、お母様の三位基台に対して基盤となる人たちです。崔元福氏の三位基台に対して象徴的基盤となるのですが、これが一つにならなければ、統一教会のすべての伝統的歴史を汚してしまう立場の代表者となるのです。それゆえに、一つにならなければなりません。
このように、おばあさんたちを三位基台で一つに結び、母子協助することができるサタン世界の三人の息子、娘を立ててきたのです。そのおばあさんたちはみな、先生が呼んだのではありません。霊界で出会わせてくれた人たちです。
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